<34>夏、家をあける

<34>夏、家をあける

夏は特別な季節だ。子供の時のなごりかも知れない。つまらない学校に行かなくていい、誕生日がある、日が長い、お祭りがある、花火大会がある。こんなゴールデンな季節が他にあるか、と思った。
おかげで、いまだに夏は特別な季節だ。窮屈な上着を着なくていい、だからどこへ行くにも荷物が軽い、日が長い、お祭りもある、花火大会もある。誕生日はそんなに嬉しくもなくなったにしろ。

すっかり大人になった今、ありがたいことに毎年、夏場はライブツアーが組まれる。年々からだがキツくなってきたことも自覚しつつそれでもやっぱり、夏、家をあける、というだけでワクワクする。

今月6月はライブを1本しか入れていない。あとはラジオの収録くらい。
温泉・密会・放逸、したい放題なはずだけど、なにを隠そう、今月は事務月間だ。くそオ、事務。ジム、ジム。やってもやっても終わらない、むしろ、やればやるほど増えてゆく、ジム。生活の全てに侵入し、私を支配する、ジム。本来の仕事から私を遠くひきはなす、ジム。

そんな折、夕暮れちかづく梅雨の空をふと見上げて、酒が飲みたくなった。手を止めて観念し、一杯飲む。実は私はひとり家で飲むタイプだ。ヤバいけど。
そしてちょっとマワって来た頭でふとスケジュール帳を眺めれば、7月終わりから8月半ばまで、私は家をあけることに気が付いた。今年も。

すると、先日捲いたコリアンダが、ちょうど食べ頃に水が与えられずに、ベランダの激しい日照りに枯れるんだな。今はこんなにかわいい新芽を出しているけど。そしてもうちょっとすると私は、いつものようにツアー前の荷造りに、頭を痛めるってことなんだな。

私は、こだわることには妙にこだわる(そのくせ歯ブラシなどはキャップもつけず、ビニルにすら入れず、むき出しでコロン、と荷物に入れたりして)。
最大のこだわりは荷造り。
荷造りで人としての格が決まる、くらいにすら実は思っている。過不足なく1グラムでも身軽な品揃えで、なおかつ、旅が終わる頃には、すっかり荷物が減っていなければならない。
各地でいただきものが増えるのは喜ばしい。が、帰宅後に宅急便で予期せぬおみあげがやってくると、なお喜ばしい。なにせ、腱鞘炎のある右腕をかばいたくて。

そういうわけで、荷造りにはいつも1週間ほどを要する。下手すると1ヵ月かかる。1ヶ月前から荷造りしてるなんて、恥ずかしいので人には云ってないけど、やっぱりワタクシの荷造りはイケていた、と帰り道に感じられないと、旅した満足感が半減してしまう。というか、荷造りでヒトを判断するくらいが、単純でいいかな、と思って。

またこの夏、家をあける。長く。
いろんな町で歌い、いろんな人に再会したり新しく出会ったりする。こういう暮らしを私はすごくすごく気に入っている。ありがたい、と思う。

でもそれ以上に幸せなのは、そんな旅から帰って来た時。
長らく人のいた気配のない自分の部屋を、まずは少し客観的に眺めて、空気を入れ替える。
そして洗濯物をセンタッキにザバッ、と放り込む時、ああいい旅だったなア、と放り込む時、かすかに立ち上るものに『子供のころの合宿あとの匂い』を思い出す。
その時なぜか、私は最大の満足を覚えてしまうのだ。

 

 

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