<36>コキのペンギン

<36>コキのペンギン

アルゼンチンから戻った。ほぼ2ケ月、ひさしぶりの長旅だった。

リリアナ・エレーロにくっついて、真夏のチャコという町へ歌いに行った。死ぬほど暑く、死んだかと思うくらい蚊にさされた。
ワタクシは普段、文句も少なく恨みは2時間もすれば思い出せなくなる。恨んだことはしばらく覚えているが、何をどのように恨んだのかが、くやしいくらいに思い出せない。が、蚊とタバコに関しては文句も恨みごともたっぷり、神経質なほうだ。
キンチョー蚊とりマットみたいな有り難いものは、ブエノスアイレスで見かけたきり、チャコのような北部(あちらではつまり、赤道が近いのは北部)の町ではついに出会わない。窓には網戸のようなものはない。なのに皆窓を開けて寝ている。だから蚊が入るのはあたりまえだ。放っておけば30カ所くらい刺されて、安らかになど眠れるはずがない。虫よけクリームを買って、始終わが身にぬりこむのが日課になった。

リリアナたちが他の町へ移ったあと、私と同行の造形作家シマさんは、夜行バスに乗るまでの間、コキに町を案内してもらった。
コキ・オルティスは、成年男子、ギターをひきながら歌うチャコ在住のミュージシャンで、リリアナもよく彼の曲を歌う。彼とは2年前にブエノスアイレスで出会い、あまり言葉は交わさなかったが、撮った写真には良く写っていて、暗室で一方的に見知った顔だ。

コキの妻、マリア。年は私とほぼ同じ。黒い瞳、黒い髪。ゆっくり歩くその感じが優雅でなんだか色っぽい。いろんな血が混じってるというだけで、何もしゃべらなくても、なるほど、神秘的に感じるものだ。
娘、パロマ、6才。コキ似の金髪。シマさんはパロマとすっかりお友達になり、なんとも嬉しそうに会話している。何語ともつかぬ言語で。子供は言葉なんか何だっていいんだ。というか、シマさんも。

5人でマテ茶をまわしながら車で物見にでかける。
コキは自分から何かを喋ったあと、必ず、日本語でそれはなんと云うのか?と聞く。イヌは何というのか、というから、『I NU だ』と答えると、なんども『I NU, I NU』と復唱し、云ったあと少し笑うのだった。実際おかしかった。というのも、コキはとても耳が良く、私やシマさんが『NU』というとき、そういえば少し鼻に抜ける音を、完璧にマネしたから。

ブラブラと歩くときも、車にいるときも、ずうっとずうっとマテとポットだけを手に持って、なんと時間はゆったり過ぎたことだろう。
枝打ちされていない巨木。水はけの悪そうな道。日陰と日向のものすごい温度差。知らない鳥たち。

シマさんが
『なんだかこっちは色がいいよなあ。』と云う。私もそう思っていた。
『そう。なんかいつもどっかに白が入ってるみたいなススけた感じがね。』そしてコキたちに伝える。
『ワタシタチハ、アルゼンチン、スキデス、イロが、なんだか。』

ああ、こういう時間が欲しかったよなあ、と思い出した。
忘れるのは恨みばかりでない。50円にぎって家を出たものの、何を買いたかったか忘れて菓子屋を後にした子供の頃と、基本は同じだ。そうやってなんだか知らないが30ン年経った。
たいていのことは忘れてしまっても構わないが、例えばマリアが色っぽいなあ、と思った時とか、アルゼンチンの色が好きだと云った時のコキのうなずく様だとか、そういうさもない瞬間を忘れ去ってしまうのは、この世の大事な記憶を失うようでいたたまれない。
そういう愛着は一体どこから湧いて来るのだろう。身内でもなく、長く良く知っているとか、共に何かを成し遂げた仲間、というわけでもない間柄なのに。

コキの家は、仲間の工芸家や画家たちとつくったモダンにして気楽な家。こんなところで暮らしたら、忘れてしまうことへの危惧すら感じないだろう。忘れたことも気づかないかも知れない。ただ、’愛と友情と今’があるだけ。
未知なるものへの欲目も手伝って、そんな気すらする。

コキは、私とシマさんにひとつづつ、陶器でできたペンギンのワイン差しをくれた。ペンギンの口からワインが出て来るやつだ。なんだかおなかのあたりがジワリと暖かくなるのを感じた。シマさんも言葉数は少ないがそう思ってるのがわかる。
別れ際に『短い時間だったけどいっぱい知り合ったね。』とコキが云った。

後日シマさんも先に帰国し、ひとりホテルの部屋で蚊のあとをボリボリ掻きながらふとペンギンを出してみると、中から中くらいのゴキブリがチョロチョロとはい出して来た。
痒いのを忘れた。かわりに、コキがライブで何か喋ると聴衆がどっと笑うのを思い出した。

『コキズ スタイル。』とわざわざ英語でひとりごとを云ってみた。

 

 

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