私のための映画
近所の図書館のDVDコーナーに、1959年の新藤兼人監督の『第五福竜丸』
があったので迷わず借りた。
第五福竜丸って何?という人もいると思う。1954年にビキニ環礁でアメリカが水爆実験したときにマグロをとりにいっていた、私の故郷、焼津の船の名である。
その後福竜丸がとってきたマグロはもちろん、乗り組み員の人びとも放射能をあび、23人全員が原爆症になってしまった、そういう歴史的事件の主人公になってしまった船の名である。
新藤監督の映画は今までもよく見ていた。『裸の島』のことなどはずっと前このコラムにも書いたと思う。好きだからって、積極的に情報収集するでもないので、この人が焼津を舞台にした映画を撮っていたのを知らなかった。
はじめにモノクロ画面に出た文字は、『協力・焼津市』。おお。
画面にはどこなのか見当のつきそうでつかない風景。あれ、これ北浜通りかなあ、あ、これは赤灯台だ、ついこの正月にここでアーティスト写真撮ったなあ、ここは漁協だねえ、昔の市役所こんなに情緒あったの?・・・不思議な気分だ。
そして活気にあふれていた焼津港に船が帰ってくると、港に群がる女たち。ああ、石油王(焼津のガソリンスタンドのおじさん。石油王、と呼んでいる)がよく云って たっけなあ、『昔ャあ、船ン帰ってくるとすげえっきだお、女ン衆ん群がって。』ってこのことかあ。
船長の久保山愛吉さんが入院しているベッドのまわりには、久保山さんの小さな娘が書いたお習字の文字が張ってある。その文句とは『おまつり』。
そしてなんと入院中に過ぎ去ってゆく季節のシーンに、なんとあの『荒祭り』の光景が、短くても、ちゃんと入っているのだった。おお!!
こうして、焼津の船乗りの人が昔から陸では何を楽しみにして何に燃えて生きていたのかも分かる。年に一度の祭りがどんなに生活に根づいていたかもわかる。
そして何年もしてあの事件を母からしか聞いたことのなかったいちネーチャンが、同じく燃えるあの祭りの50年前の光景を、思いがけず見ることができる。変わっているようで、やはり昔のままのあの光景を。人類は『変わっていない』ということにとても医やされるのだな。なぜだか。
この監督の映画はテーマもはっきりとあるが、どんな境遇の主人公でもテ−マ以上にその人の魅力がちゃんと映っている。誰が出ている映画、という感じもなくて、監督が描きたい人が、ちゃんと描かれている。
主義主張を訴えるにも、やはり人間的魅力がないと。ヒトはやっぱり理性よりも感覚で共鳴しあうものだな。なぜだか。
新藤監督は事件の後の焼津に生まれ育ったいちネーチャンが、こういう風にあの映画を見ることも知っていたのか。
だって、まるで私のために作ってもらった映画みたいだから。もちろん故・久保山愛吉さんの家族の人も、船のりの人も、祭りを愛す人、病床にいる人、そして特に共通項のない人も、たくさんの人が同じ様に感じ、慰められることだろう。
こうやって出会って、ぜひ一生近くにいて欲しい、と思った作品は後で買う。
だけど何より、兵器を作っちゃあ売ってみたり、買っちゃあ実験してみたり、そういうことを生業とする気の毒な人々に、この映画の優しさを味わってもらいたい。あんたっちの為の映画ずら。

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