蛍光灯と白熱灯

 多感な頃は、蛍光灯の光が嫌いだった。世界が寒々して見え、ただでさえ辛いこの 世をより辛いものにしている、と思った。

 私は若かった。というよりも、元気だった。

 もとより視力の良い私は、早く老眼になるよ、と云われてきた。そしてこの頃、 『初恋』を『初老』と読み間違えたり、『物腰』が『横綱』に見えたりして、さっぱ り意味がつながらず、本など後戻りしつつ読むようになった。

 始終目の奥がチカチカしていて、物事に集中できない。譜面もみづらい。写真の暗 室作業にもより手間取るようになった。粒子などをルーペで見ていると、時々、叫び 出したくなる。

 来るべき時がきたってことで、まあしょうがねえか、と、兄・Mの口調をマネて云っ ては、気にしないことにしていた。老眼か。あ、若年性ですけどね、と。

 ところが、ふと気付いたら、暗室は別としても、自宅にいる時にそうなることが多 い。そして思い当たったのは、もしや、これらの天井からいくつもむきだしに垂れ下 がった、白熱電球のせいかもしれない、ということだ。むかし母が云ってたなあ、 『あんた、こんなに白熱灯ばっかりで、目が疲れるよ』と。当時はわからなかったけ ど。

 即座に近所のパルコへ向かって、気恥ずかしくもボサノバ調のムーンリバーなど流 れるスウイートで『おしゃれ』なインテリア店で、中国製のスタンド式ライトを手に 入れた。そして電器屋で、高価な蛍光電球を買い求め、大荷物を抱えて戻ってきた。

 組み立てて、点灯した。

 そこに生まれた光は、たとえば。

 遠く一昼夜を駈けて辿り着いた異国の、知らない人のすむ知らない町なのに、なん だか懐かしい食堂の看板の光。
 この青白い光に心ゆさぶられた、疲れ目など知らない頃の多感なワタクシの遠い年 月。

 記憶が瞬時によみがえってきた。
 蛍光灯こそが情緒だったのだ。
 この青白さにこそ何か『はるかなもの』が宿っていたのだ。
 私が求めてやまない『はるかな世界』は、蛍光灯の光の中にあったのだ!

 目を開け続けていられる。
 目の奥のちょっと上のところが、もう痛くならない。
 集中できる、字も読める、しかも正しく!

 意外な程の感動だった。

 余談だが。周辺の人々を見渡すとそういえば、

 暗い白熱電球の灯りで暮らすNさんは、まだ現役、というか、枯れたように見せて はいるけど、結構いろんな欲を持っている。とろっと。まるで陰影に守られる自己の 神秘を保とうとするかのように。

 白熱と蛍光、両方の程よいバランスの灯りに住まうRさんは、欲も深いが、それを 昇華してもいる。陰影もちょっとはある。

 蛍光灯をカンカンに点灯、まるで深夜のコンビニのように住まうOさんは、もう、 かなり枯れてしまっている(と思う)。かつて欲があったことは覚えているが、もう 現実がついてゆかない(みたいだ)。明るさは欲しいが、電気代と目の労力を節約ネ、 というのも伺えて、なかなか。
 もはや陰影にて守るべきものなどなにもない。それどころか、もう身辺整理をする かのように、全てを白日の元に照らしてしまおう、と開き直っている。まるで年末に 近付くにつれ、ワタクシの品性が下落してゆくのと、原因はちょっと似ている。

 じゃあ、私のウチはどうか。
 ついさっきまで、暗めの白熱灯が蜘蛛の糸のように、いくつもあちこちから垂れ下 がり、電気環境の事情により、ときおり思い出したようにバシッと火花が散る。そし て今日、蛍光灯を導入した。なので…

 なんだかワケがわからなくなってきた。独断と偏見と推測で他を分析してゆくと、 さて自分は?ときて破綻する。


 さらに余談。

 先日、楽屋で『もう更年期だったりして』と、冗談のつもりでうっかり云ったら、 打楽器奏者のOさんは,『えー?そんなこと云わないでもう一花咲かせてくださいよ オ。』といつになく寂し気に仰った。
 ふだんこの方はあまりたくさん喋る人でなく、お返事はたいてい『素晴らしい。』 『まじっスか。』『オッケーです。』『あ、オレ?』のうちのどれかだから、この時 は少し驚いた。
 思えば10代の頃のワタクシを見知っている貴重な人だから、かつて10代だった 人がそんなことを云うと、自分の年月を振り返るよりも、よりリアルに月日の流れを 感じさせるのかも知れない。
 悪いような気持ちになって、以来、『老い』にまつわる言い回しは避けよう、と思っ た。こういう、変な気遣いを私はよくする。

photo


<33>