秋のはじまり

 友人Bがしばらく日本に来ていたが、さっき、旅先の北海道からおそろしく聞こえ の悪い電話をよこして、明日国へ帰ると云う。
 Bはガサっとしたスペイン語でなにやらいいたいことだけ早口で喋ると、『じゃあ ね、良く聞こえないから切るよ、アキ、元気で、今度は国を出る前に日本へ行くって 連絡するから、アディオス』と切ってしまった。

 私が喋ったことといえば、昼間東京では結構大きな地震があって上からモノが落ち た、ということだけだ。
 いや、正確には、『あしたフライト前に時間があったらでいいから、もっとよく聞 こえる電話してよ、ケイタイに』とも云ったが、『ムリムリ、明日は朝8時からずうっ とヒコーキに乗りっぱなしだよ』とか何とか云って、それから、じゃあ元気で、となっ て、アディオス、だ。

 Bはスペイン人で、もう立派なオジサンだ。20年来のつきあいで、思えば自然と 3年に一度くらいのペースで会うような成り行きになっていて、会えばいつも刺身を 食う。(『刺身友達』に焼津女を抜擢するとは、ガイジンにしてなかなか。)

 Bに会ったのは8年ぶりだ。
 一週間ほど前、なにもこの、一生で一番忙しいかもしれぬときに来なくてもいいの に、と思いつつ、5年前に都合がつかず誘いを断ったのもあって、いや、忙しいから こそムリヤリ時間を作って、刺身に行った。

 8年経ったBは、まだオジサンと云われる年なのに、立派なオジイサンになってい た。
 20年前、例えるならBはイーグルスのドン・ヘンリーって人みたいな髪型だった。 それは栗色で、ひょろりと痩せて、眼光もちょっとスルド目で、IDの写真などはヘタ をしたとみえて麻薬中毒者みたいだった。
 話せば人類愛豊富な感じの人であったが、毒っ気も強く、ふとしたときに私や誰か の言動に怒ったり、日本の悪口を云ったりもする人で、そんな理不尽な、と思う反面、 よく知らない習慣の違う人間に対して、なんでこんなにオ−プンに腹をたてたりでき るんだろう?と、笑ってしまうこともあった。

 ところが、20年経った今、長髪のままではあるけど、それは白くって薄くなって、 目尻には柔和なしわがより、ボーンと太り、大きな腹にはどう見ても人類愛が詰まっ ているのが透けて見えてしまうほど。コンビニで即席みそ汁のカップをいくつも買い 込み、ニッポン大絶賛だ。オジイサンになった姿でそんなこと云われるとなんか困る。
 それから、以前あんなに好んでいたタバコも酒もやめていた。

 彼にしてみても、8年経った私はすっかり変わっただろうか。今と8年前では生活 のペースも、交友関係も全く違う。変わってないのは、住処と、ひとりのとき好んで 聴く音楽くらいなものだ。
 Bの変わらぬところは、モノをまっすぐ云うのと、私を娘のように思っているらし いこと、そして刺身が好きなこと。


 電話が切れてから、そのむかし壷田花子という人の書いた歌、『ねむの花』の、 『ねむりのみが私を誘う 流れの早いこの世の岸辺に・・』
という歌詞が浮かんできた。
 彼には初対面のときから、何かしらえにしのようなものを感じていたと思う。云わ なくてもわかってくれるのなんて期待してないのに、云わなくても通じてしまうもの がたくさんあった。

 でも思えば、Bだけでなく、思春期のあのころたまにそういう出会いがあった。
 しかし、この世の流れがこのごろとみに早くって、岸辺を歩く私にとって、昨今の 出会いはほとんどまっさらな感じがする。
 ヒトって、若い頃は因縁の中で生き、そしてあるときから、因縁から放たれて、い や、放り出されて、ホレ、自分で開拓せよ、と云われるのかもしれない。新たな因縁 を作る段階にでも入ったように。
 その両方をもって、ワタクシの今生。

 そう云えば、3年前、私はスペイン首都、マドリーのバスターミナルで、Bの親友P に偶然出くわした。そのときBやPのことなどすっかり忘れて、私は未知の土地へ向か う好奇心でいっぱいだったが、ふとそのときクラっと真空の中に入ったようなめまい がした。
 あんな広く混んだバスターミナル、同じ時刻にそこにいたとしても、どちらかがあ と1メートル右か左を歩いていたら、出会わなかっただろう。
 その後私は、なんとなくPに名を伝えておいた宿で、彼らから他愛ない電話をもらっ た。もう異国に来たのではなかった。

 いつだったか3度目あたりに刺身を食べた時、音楽家であるBが、歯を全開にして 笑ってる私の写真を元に、えんぴつでポートレイトを描いてくれたことがある。今も 私の部屋の玄関には、ドアを開けてすぐの対面にそれが架かっている。
 それを見てると、私は自分を、どこか東の果てのなつかしくほがらな女、くらいに 思えてうれしい。
 その絵が、客人を最初にむかえるのはいいな、と思うのだ。客観的私と主観的私の 統合がテーマの私としては、行く先示す舵である。

 Bはその、東の果てのなつかしいような気のする女、の目撃者。
 偶然入る仕事によって日本にやって来るだけだが、結果的に再会をくり返すことに なって、だから距離は近くも遠くもならないまま、うんと客観的に互いの変化と不変 を見守り、いろんなことに気づかされつつ、だからってどうということもなく、共に 刺身を食う。
 なんだか、親戚集まる『お盆』を思い出す。

 ところで、いつかBが死んだら、知らせは来るんだろうか? Pが律儀に教えてくれ るだろうか?・・・スペイン人だし、どうかわからない。私が死んだって、Bは知ら ぬままだろう。
 まア、それもまたいいか。『お盆』もあるし。


  盛夏過ぎ西の果てより客人の来たりて往きて秋のはじまる


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