乙女の祈り
中華料理屋に入ると、ゴマ油の匂いに混じって『乙女の祈り』が流れている。
バダルジェフスカ作曲の、というと、ピンとこないかも知れないが、なんてことはな
い、ちょっと田舎町にゆけばチリ紙交換の軽ットラから拡声器で流れてくるピアノ曲
である。割れた音で。
訳あってワタクシは、梅雨時の日野市を歩いていた。腹がすいたのでそこへ入った。
昼過ぎの軽い灰色の時間。何料理であれ、お店のBGMでボサノバのような涼し気な音
楽がかかっているとなんだか、照れくさく、今をときめくジェイ・ポップがかかって
いるとそれもなんだか、クラクラして、弦楽四重奏のようなのは、いいんだけどお酒
が飲みたくなってしまうし、演歌だと気分が出すぎてそこらのおじさんと意気投合し
てしまうし、カンテ・フラメンコでは箸が止まってしまうし、というわけで、チリ紙
交換ミュージックは絶妙な選曲だ、と感心したのだった。
金を払って店を出る。川沿いの日野市をどんどん分け入ってゆく。
ここ1年くらいで急激に家々の増えたのを眺めていたら、『建て売り住宅』なるも
のがのぼりをかついでいたので、ついの住処というものがあるとしたらどんなものか、
と、うっかりのぼりの電話番号にかけてしまった。『6せん8ぴゃく8じゅうまんえ
んです。』と云われ、電話を切った。
公園の蜘蛛の巣をくぐってタイヤブランコに腰掛けてゆらゆらし、傘の柄の先で地
面に模様など書いていると、道一本ほど向こうの家からまた『乙女の祈り』が流れて
くる。
いっぱんに、乙女とは何かとそんなに祈るものなのだなア。
ワタクシの青春時代を思い出した。祈るのは何かつかみどころない架空のことばか
りで、世間のことに埋もれぬ予定で暮らせていたかも知れないが、今となってはそれ
では許されない。この世にどっぷり生きてなんぼ、その上で架空の世界をも保たねば・
・・
ということで今のワタクシが願うのはほとんどが『触われる』もの、物欲ばかり。
ヒトの世話になって生きるのは負担である。しかし全部ひとりで賄おうとするのはバ
カだし不可能だ。
なんでこのひと、バダルジェフスカは『乙女の祈り』とタイトルつけたのだろう?
この歌詞のない曲に。古紙回収車ドライブBGMのつもりで作ったはずもない。
そういえば先日実家に帰ったおり、たまにはクラシックを弾こうと、子供のころか
ら使っているピアノの上にたまたまあった譜面を弾いてみた。それもまた『乙女の祈
り』だった。
譜面にはいっぱい書き込みがしてあった。うんと子供の頃、ピアノの先生がワタク
シの悪いクセを直そうと書いて下さったことが、黒いえんぴつや赤いえんぴつで。
『もっとていねいに』
『しっかりひく』
『あせらない』
いまだ先生の祈りをまっとうできぬまま、関心は『もっと広いところに住みたい』
『家で音を出したい』、はたまた『家に暗室が欲しい』『クレジットカードの審査を
パスしたい』『ローンを組ませて欲しい』、それはおろか『浴室乾燥機があるといい
なあ』『体脂肪計付き体重計を買わなくちゃ、あれやこれや』にいつしかとって変わっ
ていた。
乙女だから、いろいろ祈るのはしょうがないみたいだ。
こうやってニーチェだかゲーテだかの云った、『畜群』なるものができあがってゆ
くのだろう。でも乙女だからこれで良いとする。

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