リスキー・スズキ
住処を探している。もう長い。去年の春から探している。
たくさんたくさん見て、ここに住みたい、ここに住む自分が想像できる、と思った
ところは一ケ所しかなかった。でもそこは築24年。借りるならいいけど、築24年
を買えば苦労することは目に見えている。それがイヤで持ち主も売ってしまいたいの
だろう。あの頃のものはコンクリートも薄いから、ピアノなんか置いたら防音にいく
らかかるか知れない。
思えば生まれてはじめて、住処を持つ、ということ、食べたり寝たり服を着たりと
同じようにジンルイに基本的なことを、具体的に考えた。若いうちにショーライセッ
ケイなるものを描いておおかたそれに沿ってゆく人もいるようだけど、私はこれまで
それどころではなかった。売れて忙しいのだったらひと段落してから売れたお金でポ
ン、と買えばいいのだろうけど、もっと違うことに忙しかった。何に、と一言で云え
ぬところがやるせない。強いて云うなら、哲学することか。だからポン、とやれない。
そういうことにうつつを抜かしてきた私は、ここへ来て、いわゆる高学歴高収入と
か、エリートである価値とか、昔プロダクションに云われた、『まず、売れたいのか
そうでないのかを決めて、5年後の自分について作文を提出しなさい』というニホン
語の意味が、おぼろげながらわかってきた。なるほど、そういう目で見れば確かにそ
ういう発想になるよな、と。
だけども、それに気付いた今となっては、またその価値観も流行らない。というか、
私の中では一度も流行ったことがない。価値観は過去のものだけど、今だその残骸に
よって世の中は動いていると見受けられる。
そういう仕組みの中、私のようなものがローンを組むにはすごい金利になってしま
う。貸す側にとってつまり私はリスキーなヒトだから。
今まで縁のなかった、ブログというのもたまには覗くようになった。マンションか
戸建てか。中古か新築か。結局、賃貸なのか買うべきなのか。騒音はどこまで許せる
のかを話し合うところでは、恐ろしいバリゾウゴンが飛び交っていた。楽器やる人っ
て、あんなに嫌われるんだ・・・。
まア、いろんなことを話し合っているけど、ほとんどが結局は、『自分はどうやっ
て死ぬのか』というのをジンルイは知りたがっている、と感じる。でもそこまでショー
ライセッケイしなきゃならないのかよ?という『悲鳴』も感じる。
どっちを選んでも、建物も人もいつか死んでしまう。介護も必要になる。その時ど
うするのか。その時のことを想定してどうしておいたら、気分がいいか、身軽か。人
生は意外とあっという間らしい。そのつかの間をせっせせっせと支払いに明け暮れ、
所有し維持する責任をずうっと背負っていかなきゃいけない。もちろんちょっとは喜
びもあるけれど。・・・そんな話が展開されている。
この頃、一生賃貸という言葉をよく聞く。賃貸は所有じゃなくて消費だ。消費って、
やっぱりラクだ。イヤなら捨てればいい。消費者に責任はない。
他人事のように云ってる私も書き込みはしないまでも渦中の人だ。ああいうのを読
んで、ホントにそうだ、とか、こういう人もいるんだな、とか思ったりしているうち
だんだん、そもそも人生って何なんだ、という、今までさんざん考えてきて、一度た
りとも天から答えが降って来たことなどないことを、また考えている。
それが今までいそしんで来たワタクシの哲学の結論だと思うと、やはりそんなこと
よか、5年後の私は若い層をターゲットに100万枚売れる歌手になっています500万枚はムリだけど、とローン返済計画書のノリで作文を提出しておけば良かっただ
ろうか。
けども、そうやってまで欲しいと思うような新築マンションは、見た限りひとつも
なかった。白いビニルクロスの壁に乱視の目がチカチカするなあ、と思ったくらいだ。
もちろん予算に上限がなかったら何も問題ない話である。
実は世の中の問題の8割がたはたったそれだけのことであろうのがまた、何とも。
まあいいや。金さえあれば8割が片付くのに残念ですわ、と思っていた方が幸せだ。
8割をポンと片付けてしまったら、金ですら解決できない2割の難問がそびえて残る
のみだろう。
それになんて事はない、結局はみんな、自分はどうすればソンをしないで済むのか、
必死で皮算用をしてるだけのことである。売る人も買う人も、貸す人も借りる人も、
ブログを書く人も読む人も。タヌキさまとキツネさまが木の葉並べてイッセのセをし
てるだけのことだ。可愛いじゃないか。リスキーな我が身の愛おしいこと。

|
<41>
|