<23>水羊羹

<23>水羊羹

ケチなので、本当に好きなことは人に云いたくない。云ったって云わなくたって、別に誰も何も困らないけど、要は、満足をひとりでたっぷり味わっていたいので。
ひとりで旅をすることが多いのも、そういうケチさのせいだろう。いや、ケチなばっかりでなく、好きなものへのエネルギーは、そのうち体内で歌に変わるまで、手付かずにしておきたい、と、そういう思いもある。ア、それもケチの内か。
ケチだけど、まア今日はちょっと、好きなことの話を。

もともと、写真を撮られるのがあまり好きでなかった。スナップぐらいではどうということはないが、アーティスト写真、とかいうことになると。撮られること、というよか、撮られたワタクシを見るときの、え、こんなハズでは、という落胆が。欲目というやつだ。ケチだからやっぱり欲目を持っている。それに撮られる、って何を思ってどこを見てればいいのか、今いちわからない。だから、なんだか落ち着かないなあ、という顔して写ってしまう。さあ、撮影です、と云われると、フラッシュや日ざし、暑さ寒さなどある中、何に向かったらいいのか、対象がわからないのだ。
反対に、この目に映る一瞬の光景に妙に愛着が湧いたりする、『撮る方の感覚』のようなのは昔からあって、それを絵や写真でとどめておけたらいいなあ、としょっちゅう思う。そうこうするうち、齋藤亮一さんの写真集に出会ったりもした。

そんな訳で、何年か前、奮発して一眼レフカメラを手に入れた。ワタクシが捉えた光景をとどめておくことができるし、ついでに、撮られる方のことも何か分かるかなあ、という気がした。
以来、旅のお伴の万年筆にカメラが加わった。ちょっと身重になってしまった。フイルム、レンズなど。

去年の春、知人のフラメンコの歌い手(ヒラニート氏、日本人男性60才)がスペインの小さな町の小さな会場で歌ったのを撮った。ちょっとピントは甘いけど、自分でも気に入ったので少し大きく引き延ばしてご本人に差し上げた。そしたらこの間、その人のリサイタルのチラシに、その時の写真を使わせてもらったよ、とご連絡いただいた。ご丁寧にもお礼に寅やの水羊羹を送って下さった。
もっとも当時は現像をよそに出していたので、もし事前に知っていたら自分でバッチリ現像し直したのにナア、と、それが心残りではあるが、私が長留守していて連絡がつかなかったそうなので仕方ない。

別便にて送られてきたチラシを見た。
うわあ!
自分の撮った写真が気に入られ、印刷物になって人目にふれて役目を果たすなんて、予想外にうれしい事と知った。
今も、この春大切な用事でアルゼンチンに出かけたときの写真を、知人Tさんの事務所の暗室をおかりして、シコシコ現像している。暗室では時間があっという間にたってしまい、気が付くと終電だ。暗く静かな小部屋に、ぼうっと大切な記憶が浮き出て来る時の、なんともいえないカンジをひとり占めするゆったりした時間が、すっかり気に入っている。
そして作業の合間にTさんと水羊羹をいただく。一日ひとつづつ。今もTさんの冷蔵庫の中であと2日分くらい冷えている。
それにしても。カメラではじめて稼いだぞ。水羊羹!

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