<28>慧海と云えば・・・

<28>慧海と云えば・・・

自分の旅については、さくらえび通信なんか書いて人に云いたがるのに、そういえばあんまり誰かの紀行文を読んだことがない。

先日通りがかりの古本屋で、昭和35年に出された本が100円だったので、つい買って読んでみたらとても面白かった。当時の値段で290円と印刷されたその本は、立派なハードカバー。シミだらけだ。

河口慧海という名はあちこちで目にしてきたが、書物を読んだのは初めてのことだ。この人は日本人ではじめてチベットに行ったお坊さん。タイトルも『チベット旅行記』。
文章は今の人が書いたみたいにすっきり読みやすく、ところどころ『常体』と『敬体』、つまり『~だ。』と『です,ます。』が混じくっているのが好きだ。云ってることにも、特にお坊さんを感じない。

そういえば先日、訳あって文章の書き方のハウツー本などを見ていたら、この、『常体』と『敬体』を統一しないのは、恥ずかしいことの最たるものとあって、へえと思った。というのも、日ごろこのワタクシの頭の中を去来するものをそのまま文にしたら、自然と、です、だ、ます、のだ、だな、だし、となる。まあ、そういわれれば、恥ずかしいかもしれない。小学校でもそう習った。

連休のさなか、大阪へ歌いに行って、はしゃぎすぎで熱っぽくなってきたので、東京へ帰らず、少し眠るつもりで静岡の実家へ寄ったが、思いのほか元気になってしまったので、母ととなり町の山奥へ車で出かけた。
めずらしく、静岡近辺ではあまりみかけないと思っていた桐の花が咲いていたので、車をとめて写真を撮った。
となりの製茶の工場で忙しそうに働く一家に、新茶をわけてくれないか、と云ってみると、袋詰めしてくれ、待ってる間に摘みたての新茶を入れてくれた。

ぜいたくな季節のこのうえなく天気のよい午后。
母と桐の花の下で新茶をもらう。

『桐はりんとしていてやっぱりいいねえ。』
『ところで今年はやけにどこの竹やぶも黄ばんでいるけン、60年に一度だか花が咲くと竹が枯れるって云う、あれかね?大阪の竹も黄色いっけ。』
『新芽の色じゃあないの?』
『あそうか。』

話し変わるけど・・・と、河口慧海の話をすると、思いがけず母も以前ずいぶん好きだったそうで、昔は毎朝ラジオで河口慧海の朗読の番組を聞いてから勤めに出ていたそうである。

新茶は店頭の3分の1ほどの値段で売ってくれた。
記憶にはこんな風にして、河口慧海といえば新茶のみどり、と結びつく。

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