<37>乙女の祈り
- 2007.07.13
- column

中華料理屋に入ると、ゴマ油の匂いに混じって『乙女の祈り』が流れている。
バダルジェフスカ作曲の、というと、ピンとこないかも知れないが、なんてことはない、ちょっと田舎町にゆけばチリ紙交換の軽ットラから拡声器で流れてくるピアノ曲である。割れた音で。
訳あってワタクシは、梅雨時の日野市を歩いていた。腹がすいたのでそこへ入った。
昼過ぎの軽い灰色の時間。何料理であれ、お店のBGMでボサノバのような涼し気な音楽がかかっているとなんだか、照れくさく、今をときめくジェイ・ポップがかかっているとそれもなんだか、クラクラして、弦楽四重奏のようなのは、いいんだけどお酒が飲みたくなってしまうし、演歌だと気分が出すぎてそこらのおじさんと意気投合してしまうし、カンテ・フラメンコでは箸が止まってしまうし、というわけで、チリ紙交換ミュージックは絶妙な選曲だ、と感心したのだった。
金を払って店を出る。川沿いの日野市をどんどん分け入ってゆく。
ここ1年くらいで急激に家々の増えたのを眺めていたら、『建て売り住宅』なるものがのぼりをかついでいたので、ついの住処というものがあるとしたらどんなものか、と、うっかりのぼりの電話番号にかけてしまった。『6せん8ぴゃく8じゅうまんえんです』と云われ、電話を切った。
公園の蜘蛛の巣をくぐってタイヤブランコに腰掛けてゆらゆらし、傘の柄の先で地面に模様など書いていると、道一本ほど向こうの家からまた『乙女の祈り』が流れてくる。
いっぱんに乙女とは、何かとそんなに祈るのか。
ワタクシの青春時代を思い出した。祈るのは何かつかみどころない架空のことばかりで、世間のことに埋もれぬつもりで暮らせていたかも知れないが、今となってはそれでは許されない。この世にどっぷり生きてなんぼ、その上で架空の世界をも保たねば・・・
ということで今のワタクシが欲しいと願うのは、ほとんどが『触われる』もの、物欲ばかり。ヒトの世話になって生きるのは負担である。しかし全部ひとりで賄おうとするのはバカだし不可能だ。
なんでこのひと、バダルジェフスカは『乙女の祈り』とタイトルつけたのだろう?この歌詞のない曲に。古紙回収車ドライブBGMのつもりで作ったはずもない。
そういえば先日実家に帰ったおり、たまにはクラシックを弾こうと、子供のころから使っているピアノの上にたまたまあった譜面を弾いてみた。それもまた『乙女の祈り』だった。
譜面にはいっぱい書き込みがしてあった。うんと子供の頃、ピアノの先生がワタクシの悪いクセを直そうと書いて下さったことが、黒いえんぴつや赤いえんぴつで。
『もっとていねいに』
『しっかりひく』
『あせらない』
いまだ先生の祈りをまっとうできぬまま、気がつけば『もっと広いところに住みたい』『家で音を出したい』、はたまた『家に暗室が欲しい』『クレジットカードの審査をパスしたい』『ローンを組ませて欲しい』、それはおろか『浴室乾燥機があるといいなあ』『体脂肪計付き体重計を買わなくちゃ、あれやこれや』と、いろいろ祈っている。
乙女だから、いろいろ祈るのはしょうがないみたいだ。
こうやってニーチェだかゲーテだかの云った、『畜群』なるものができあがってゆくのだろう。でも乙女だからこれで良いとする。
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