<50>しら玉 ー小泉八雲墓参り

<50>しら玉 ー小泉八雲墓参り

旅も終わってひと段落したところで、ふっと時間ができたので、好きな男の墓参りに行った。…なんて、言い方をしてみるが、その男は明治のうちに死んでいる。

男は外国の生まれで、日本人女性と結婚し、日本人となった。4才のとき故郷を離れ、死ぬまで一度も、結局、クニへ帰らず日本で死んだ。そのことを悔やんでいたかどうか知らないが、勝手に私はこの8月、男の故郷なる島へひとり行ってみたのだ。そして海辺でー不思議なことに西洋なのにどこか日本と似たような海辺でー石っころをふたつ拾ってきた。しら玉だんごのような、白く、丸く、真ん中の少しへこんだ、すべすべのやつを。そのひとつを、わたしは男の墓へ持ってゆこうと思った。そしてもうひとつは、自分が持っていようと思った。

墓地の名だけを頼りに、いつものようにろくすっぽ調べもしないで、ただ ‘こっちだろう’と思う方をたらたらとゆき、iphoneなんか持ってるくせに地図も見ず、通りすがりの人に道を聞き、まちがえまちがえ、たどりついた。気づけば 10月も末になんなんとしていて、ジャケットにブーツですれちがう女がいるというのに、タンクトップ一枚というサービスっぷり。体温もいろいろだから仕方ない。

墓地は都心とは思えない、広く落ち着いた、まるで奈良の里とみまごう長閑さ。墓参り自体は割と好きだが、自分が’入居’となると、えーメンドクサ、位にしか思っていない。けどもこんな苔と木立の美しい、角も丸くなった墓石ばかりの’里’になら、ぜひ私も入りたいなァ、と初めて思った。

男の墓があった。他に誰もいない。『あ、どうも』と声に出して挨拶する。『島に行ってきたですよ』。
墓の土台となっている黒っぽい岩の上に、遠い海でいく度も洗われ、すべすべになったしら玉を置くと、あまりに白くてよく目立った。後に誰かがなんじゃこれ、と思ったときのために、小さく油性マジックで’××島の海辺の石’と書いておいた。たとえその人が除けてしまっても、少なくとも、意味あってここに置かれたとわかってくれるだろう。どのみち雨にさらされ、たちまち文字は消えるだろうけど。

墓石に手をあててみると、正午くらいに差した日の熱がまだ残っていて、ほんのり温かかった。隣にある男の妻の墓石も。奥さんにも一言、やっぱり挨拶を。『セツさんがいなかったら、(彼の)あの仕事は成し遂げられなかったと思いますね。いちばん偉いのはセツさん。』と云ってやった。そして『あたしにはできない。』と付け加えた。あたしの代わりにありがとう、という気持ちもちょっとあった。

 

 

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