<51>『クローゼットの中に棚を造ってとりつける計画』
- 2009.12.02
- column
去年の冬、ちょうど今ごろ、簡易防音工事をした。
そのときの大工のお兄さんが、AMラジオを小さくかけながら黙々と作業をしているのを見て、口には出さなかったが甚(いた)く幸せな気分だった。格好良いと思った。
きちんと寸法を測り、シュッと印をつけ、スパッと道具を使って、カランと乾いた音を立ててきれいに切断されて落っこちた破片など見ていると、小気味よかった。
工事の間、信用してお兄さんらに鍵を預け、私は’商用の旅’に出たり(植木の水やりもお兄さんらにお願いした)、家にいるときは、半透明のビニールシートで区切られたこちら側で原稿を書いたりして、時間になると普段では入れない量のコーヒーをいい気分で入れたりして、大工の妻はアリだ、と思ったりした。誰かが家の中で黙々と仕事していて、なんとなく気配を感じながら自分も自分の仕事している、というのが、非常に心地よかった。
コーヒータイムにかこつけて、道具のことや、工作の基礎について、前から疑問に思っていたことなどを教えてもらった。いつか工事代金を払い終えて、おこづかいが貯まったら、私も電動インパクトや丸鋸を買うのだ、と決意した。
一年経って、そういえば引っ越して以来、住まいがなんにも片付いていないことに気がついた。以前コラムに書いた『目の人』によって、目(脳)の調子がかなりよくなってきて、眠りから覚めたのだ。起きたらこの有様だった、というわけだ。
そんな折り、ウクライナの『ピリペンコさんの手作り潜水艦』という映画を見て、忘れていた衝動を思い出し、『クローゼットの中に棚を造ってとりつける計画』を立てた。たった一段の、ごくごくシンプルな棚である。ある時期、やたらに咳が出て、歌うのにものすごく大変だった頃、あちこちで首元を冷やすなかれ、と云われ、やたらに’首巻き関係’を買った。それらは長いから、タンスの中でいつしか蛇のように絡まっていて、意外とうっとうしい。それらをくるくる丸め、その棚に色とりどりに陳列し、あたかも生活を楽しんでいる賢い娘みたいに暮らす、それはいい考えだと思った。
まず粕汁みそ鍋を作った。ライブやリハーサル、フィルム現像、入稿などをしながらそれを実行するため、2、3日分の食料計画から、である。私が職人になっても妻がいないので。
さて。
去年の工事の余り木材で(基本ね)、友達からとりあえず借りた電動ドリルを使って、まずはなんとか、棚らしきものを造った。木と木を接ぐ時は、木材でたばこ一本の半分くらいのチップを作って、それを接ぐそれぞれの面に穴を開け、差し込み、接着する。一面につき2穴。合計、ひとつの接ぎには4穴。それを、4接ぎ。ああ、しかし。どんなに綿密に測っても、ドリルで穴を開けているうち、穴の中心がずれ、接いでみると微妙な段差ができる。こういうところにデリケート素材の首巻き関係がひっかかって傷んだりするだろう。でも、いいか。
そして。
木の断面を、ペンキで塗る。ささくれてきて繊維が引っかかるのを、少しでも緩和できるだろう。接ぎの補強に、買ってきたステンレスの’一文字接ぎ手’で補強する。そういうパーツの呼び方も、今は知っている。ああ、しかし。一文字接ぎ手にドリルでネジを入れる時に、上手く入らず、半端に刺さったままネジ山がつぶれてしまった。もうこのネジを引き抜くこともできない。でも、いいか。
さらに。
それをクローゼットに取り付けようとすると、微妙にサイズが合わないところがあることに気がついた。以前の賢い私だったら絶対になかったようなミスだ。目が悪くなってからこういうミスが増えた。しょうがない。手動のこぎりで3時間かけて木の切れっ端をつくり、それで隙間を埋めた。汚い。でも、いいか。
いよいよ。
取り付けようとしたら、今度はそのために買ってあったネジが、その隙間埋めで厚みが出た分、長さが足りなくなってしまった。しょうがないから、買いに行った。これで完璧、あとはすっきり首巻き関係を収納し、見違えるほどスッキリさせてから、夜のリハーサルに出かけるのみ。しかし!
電動ドリルが上手く使えず、さらに造った棚を落っことし、接ぎのところがクニャクニャして、付け替えようにも一文字接ぎ手の固定のねじ山をつぶしてしまったからどうにもできず、クニャクニャでもまあ、いいや、と再度トライしたが、ネジが一向に入って行かず、気がつけばネジ山がつぶれていた。
こうなったらどうにもできない。とりあえず、粕汁みそ鍋を食べることにした。もういやだ。これ、全部ひとりでやってんだ、アタシ。もうおしまい。
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