<58>いい空気
- 2010.10.02
- column
夏はいつまで続くのかと問いつつ、気を失いかけていた。が、さすがに涼しくなった。肌寒いって、すてきなことね。
涼しいと、なにかを思い出す。なんか懐かしい感じがするんだけど、何だっけな?・・・と思ったら。
2006年は怒濤の一年だった。
ブエノスアイレスに住む偉大な歌手リリアナ・エレーロの、歴史に残る(残るのです)初来日をしかけた以上、成功させなくちゃ、と思って、一年をそれについやした。寝なかったし、いつも連絡や書類作りに追われて、パソコンを見ていた。プロモーションとなれば、日本中どこでもかけずりまわった。スポンサーたちに、この企画の’価値と意義を提唱し、賛同してもらい、何らかの利益を得ていただ’けるように、できることは全部やった。まあさ、本来は歌うたいなんだけど、シホンシュギの世の中だからさ、誰かがそれをやんなきゃなんにもできないんだよね、企業の人たちがしのぎを削って稼いだ一部をわけてもらうわけだしさ。
・・・そして、来日が終わったら次は自分のCDをつくり、晴れて今まで以上にやりたいことを全部やるのだ、と思っていた。まずは十日十晩ほど、ぶっ通しで眠りこ けてから。そういう目論見だった。
けども、終わってからというもの、脳ミソがまるきり動かなくなってしまった。ぶえのすあいれすってなんだっけ?だ。目も見えなくなったから、自分のCDどころの騒ぎではなかった。しーでぃーってなんだっけ?。記憶がうすーくなった。宇宙遊泳しているような体感。それ以来、私の体温は上がりに上がりっぱなしで、冬でも大汗をかき、12月の東京をタンクトップとゴム草履で歩いてちょうどよくなってしまった。
月日は飛ぶように過ぎていった。
人脈においては、失うべきものは失われ、得るべきものは得難きを得た。スッキリした。お金においては、前も後も変わらない。依然スッキリしている(けど、最中はちゃんと数字にできたので、なんだやるときはやれるじゃないかスズキという、自信は得た。というか、スポンサー諸氏および、一緒にスポンサー募集挨拶めぐりをしてくださり、帰り道にメシをおごってくれたエムさんやティーさん のおかげはデカい)。体力においては、一括終了した。
そうして、にせんなな、はち、く、と何とか呼吸は続け、にせんじゅうの猛暑を奇跡的に生き延びたが(発汗量は一生分)、お金がすっからかんなことに気がつき、ハッと目がさめた。
いけない、汗かいてる場合じゃなかった!お尻に火がついてたからワタクシは暑 かったのね、猛暑のせいと云うよかむしろ!
そう気がついた時、奇しくも、世界は涼しくなりかけた。
もしもワタクシが貧乏でなかったら、あのまま目が覚めずに、発汗しながら召されていただろう。貧乏ありがたや。ああ、ありがたや。
けども、そんな数年の宇宙遊泳中にも、時折なにか甘露が脳に満ちるような気のするときもあって、そんなとき録音をした。で、この10月新しいCDになった(それが云いたかったわけです)。
・・・今朝、ずいぶんと涼しくなったなあ、と感じると同時、初めて降り立ったときに吸い込んだ、ブエノスアイレスのなんともよい兆に満ちた空気がよみがえり(そういえばブエノスアイレスって、いい空気という意味だ)、それが『地名』であったことを思い出した。私にとって大切な土地の。またいつか行く んだろうなと、あれ以来はじめて予感した。
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