<84>小泉八雲とわたし

<84>小泉八雲とわたし

2020年7月4日、5thフルアルバム『雲と波』発表にちなんで。

ラフカディオ・ハーン。
西洋人にして、とても小柄。
生まれながらに、極度の弱視。
しかも、のちに片目を失明。

16歳、片目と父と母も失くして、お金持ちだったおばあちゃんも死ぬ間際に事業に失敗、すってんてん。
さあ、無一物。そこから何年も世界を渡り歩き、最後に見つけたのがこの日本。
自らに小泉八雲、という名をつけた。
…いつかこのことをテーマにしなくっちゃ、と思っていた。

わたしの産土の地・静岡のやいづでは、この港町をこよなく愛したへるん(ハーン)さんにちなんで、海辺の商店街には『八雲通り』と名がつき、盆踊りには
『小泉八雲 片目だるまに抱いて見せてる 大漁旗』
なんて歌詞も出てくる。
だから、小泉八雲は子供の頃から ’祖父の友人’ くらいの身近さだったが、ある時から『視覚』や『聴覚』という切り口から、また八雲を捉え直すようになっていた。

旅をし続けてきて毎回実感するのは、目が悪くなったな、ということ。
シャワー中、シャンプーとコンディショナーの判別がままならず、素っ裸で髪からポタポタ水したたらせてメガネを取りに脱衣場に戻るなんてのはしょっちゅう。パッと見の字づら模様でなんとなく判別可能な日本語ですらそうなのだから、異国の文字においてをや、だ。
こんなんでアタシ、危険が迫ったときにすばやく行動できるんだろうか?

いっぽう八雲。
アジア人や黒人そして女たちよりは、何かにつけて立場の強い白人・男ではあったものの、うすぼんやりとしか見えない片目で見知らぬ世界を転々とするのは、どんな感じだったろう?
時は明治。あらゆる情報が今よりずっとずっと少ない。メガネのレンズの性能だって今より劣っていただろう。

最後にたどりついた日本に、彼は2ヶ月もかけて船でやってきた。
ぼんやりした片目にやっと陸の岸辺に松の木たちが見えたとき、何を思っただろう?

『耳なし芳一』や『雪女』など怪談ものが圧倒的に有名な八雲だけれど、はじめて彼のエッセイを読んだとき、思わずのけぞった。
あれ、自分がもうひとりいる?しかも100年前、ガイジン、男で!と。

以来、その他のエッセイ、書簡集、紀行文などを読み漁るようになった。ますますその思いを強くした。
彼が世界を放浪し、各地の生活や自然の音、生き物の声などを、脳の中で『音楽』に変換して愉しんでいたことがわかって、自分もそれをしたくて歌っているんだ、とすっかり合点がいった。

10年以上まえ、ある本で読んだ、彼の言葉
‘幸あるかな、幸あるかな。耳で聞いて音楽を書くことのできる旅行者こそ、幸あふれたものです。’
を書き留めておいた。

今回、このアルバムにぜひ引用したいと考えた。けれど私もヌケ子で、どの本のどこに書いてあったかをメモし忘れていた。となると、ホントに彼の言葉なのか、一字一句違えずメモってあったか、ホントは何をいわんとしてるのか、あらゆることが疑わしくなってきた。
そして、ふたたび八雲の本をほとんど全て、1ページごとめくることにした。もちろん検索もした。そして ’ネットでわかることはたくさんあるが、なんでもわかるわけじゃない、とくに大事なことは’ という単純なことを再認識することになった。
そんなことに多大な時間を割いた。

努力の甲斐あり、出どころはわかった。でも、原文がわからない。いくつものアカデミックな施設へ問い合わせ、最後に富山の大学図書館の方が答えてくださった。
原文は ’Happy, happy, thrice happy the traveler who is able to write music by ear.’ だった。

拍子抜けした。happyとな?
felicitation(慶び)とかbenediction(祝福)とかの言葉で原文を検索しても出てこなかったわけだ。平易すぎて原文も訳文も、いろいろと誤解を生み得る捉えどころなさだ。この一文だけ引用したなら、極端なはなし ’耳コピーして楽譜の書けちゃう旅行者はいいね、ってこと?’と思う人だってあり得る。

実は、これは島根の港で漁師が歌う、擬音語ばかりの舟漕ぎ歌を聞いた八雲が、127年前の今日、友人に当てた手紙の一文だった。
曰く、 ’男たちは漕ぎながら、人をこの世ならぬものに誘いこむような歌を歌いました’。

そして、そのあとに続く言葉こそ、そのHappy, happy…だったのだ(訳者はこの謎めいた表現に忠実に、謎めいた日本語に置き換えていたのだった)。

私の歌には歌詞があって、それなりにどの言葉も具体的な意味は持つだろうけど、いつも意味なんかはるかに超えた『音』だからこその『なんかわからないが、いい』という世界があることに、気持ちを向けて書いている。

それについて100年以上も前にたくさんの記述を残してくれた八雲に、並々ならぬ想いが湧いてしまうのはもう、仕方ない。そして、だからこそ歌詞の言葉とその意味はやはり大切だ、とも思う。
八雲だって、だから作家になったのだろう。小泉八雲墓参り