偏西風対談2 with 浜田真理子さん
- 2020.08.04
- talk / note / etc.
M:『このところ全然島根から出てなくて。でも私もともと超インドアなんで(笑)特に苦ではないし。そんなに何というか、仕事しないと死ぬ、とかではないから、全然これでいいけどな、って感じ。三度三度家で食べてるから健康になってるよね。ミュージシャンがね。打ち上げもないし、早く寝るし。これが新しい生活様式なのかな。』
カ:『ライブやってない、ってどんな感じですか?』
M:『配信を月に一度やってるから、それがリハビリ的かな。ま、私は”毎日三時間練習します”とかじゃないから(笑)。』
A:『私は(このツアーの)二日目のライブから取り戻したって感じかな、体の重心みたいなものを。』
M:『だから配信なんかでも、みんなちょっとヘタになってるよね(笑)。 そりゃ毎日やってたみたいな人は調子狂うよ。』
A:『あはは。』
M:『私はもともとそんなにたくさんやってなかったから…。あとラジオやってるから、人と全然会ってないってことはなくて。今回もね、タイミング合えば(ラジオに)出ていただければ良かったんだけど。』
A:『そうですね~、残念!』
M:『でも新しいアルバム、流すから!』
A:『わあ~ありがとうございます。』
M:『だけどコロナだとさ、ホントに手売りができなくて (笑)』
A:『真理子さん、年に何枚くらい作ってるんですか?』
M:『あたしねえ、このCDの売れない時代にレーベル立ち上げちゃって。そしたらいきなりコロナでさ(笑)。(プロデューサーの)久保田麻琴さんにずっと録ってもらってたやつがたまったから、じゃ自分でやってみたら?って言われて。ソロ編とバンド編があって、これはバンド編ね』』
(ここで二人、お互いの新譜を交換
左:MARIKO HAMADA LIVE 2017-2019 VOL.2 右:雲と波)
M:『これは(ジャケット)、因幡の白兎のサメってつもりで。』
A:『(ジャケットを見ながら)カメリアレコードっていうんですか?』
M:『うん。松江の花が椿だからね。…(雲と波のチラシを見て)えっ、10年ぶりなの~!?』
A:『あ、フルアルバムは、ですね。ミニアルバムとかは作ってたけど。』
M:『へえ…。』
A:『このジャケットはね、小泉八雲なんですよ。』
M:『え~、すごいじゃん~!』
A:『勝手にだけど、(八雲とは)縁をすごく感じてて。ここには書かなかったけど、ウチ実家が神社で、その神社の祭りのことを八雲がエッセイで書いてくれてるんですよ。あとね、八雲が初めて焼津に降り立った日が、私の誕生日なの。で明日ちょっと(松江の)小泉八雲記念館に行ってこようと思って。』
M:『あそこの館長さんが八雲のひ孫さんで。』
A:『そうそう、それでご挨拶にと。絵の使用も許可していただいたお礼もと思って。』
M:『(小泉)凡さんでしょ?すっごく優しい。めっちゃ優しい。』
A:『ね。なんかとっても。…私ね、むかしギリシャまで行ったんですよね。八雲の生家を見に。』
M:『へえ!じゃあ良かったねえ~、八雲記念館とか行けるから。もうすぐそこだから。松江って、(八雲は)そんなに長く住んでないんだけど、アイルランド協会とかあるしね。なんか緑色の服で全員が集まる日とか、なんだっけ、セントパトリック?を松江でやったりとか。(八雲ゆかりの)ニューオリンズと交流があったりとか。』
A:『へえ…。』
カ:『最近気がついたんですけど、お二人とも98年なんですね、デビューが。』
A:『えっ!!うそっ。98年?え~っ。(大いに驚く)』
カ:『亜紀さんはMIDI(レコード)で、真理子さんは…。』
M:『プランクトーン。出雲にいる知り合いと作ったんだけど。あ、98年て結構いっぱい出たんだよね、シンガーソングライターが。CDがいちばん売れた時。』
A:『(いぶかしげに)そうなんだぁ?』
カ :『それで2002年に…。』
M:『そう、美音堂って、事務所兼レーベルが東京にできて、そこから。』
A:『(1stアルバム『Mariko』のジャケットを見ながら)お金かかってますね(笑)。』
M:『そう、紙ジャケってね。』
A:『これ(雲と波)もね、お金かかってるんです(笑) 紙ジャケのしかも、いちばんいい紙使った。はははは。こういう(『Mariko』のジャケット)テクスチャー的なものがあるのは高いんですよ。』
M:『そう、そう(笑)。これはみんな嫌がってましたね(笑)。型押しとかね。ま、インディーズじゃないとできない。』
A:『うん、うん。メジャーだったらプラケースになっちゃうからね。』
M:『じゃあ?…20周年だったのね?こないだ?』
A:『あっ、そうか(ためいき)。もうぜんっぜんそんなこと考える余裕もなく(笑) なんかやればいいのにね~(笑)』
M:『私は2年前に20周年やったんだけど…。じゃあ、22周年とかやれば?(笑)』
A:『あはは、ゾロ目!いいな、その中途半端な感じ。22年と2ヶ月と2日ツアーとか?』
M:『(『雲と波』のジャケットを見ながら)これ、松江のためにあるみたいな感じ。水のあるところね、落ち着くよね。私も湖見ながら育ったから。』
A:『ああ、宍道湖ね~。』
M:『うん。ま、ちょっと走ったら海もあるんだけど。山もあるし。』
A:『いいですね~。ワタシあと、釣りが好きなんで。海がないとちょっと。』
M:『あの、釣りの友達、紹介しますよ。モリタくん。』
A:『モリタくん(笑)。心強い。』
A:『ちょっと真理子さんのこと、聞きたいんです。これ(CD『mariko』デビュー)に至るまでを。』
M:『そこに至るまでは…私音楽の仕事始めてからは35年とかなんだけど、学生時代からアルバイトしたり。弾き語りとか、パーティとかの演奏ね。卒業してからはナイトクラブとか。』
A:『島根で?』
M:『とか、鳥取とか。鳥取にちょっと住んでたことがあって。で、ナイトクラブに、ピアノ要りませんか?って電話して。』
A:『すごーい、自分から?』
M:『そう、あの、電話帳の時代よ(笑)。』
A:『攻めの…!』
M:『いや、仕事どうしよう、とか思って。本当は東京へ行きたかったんだけど、一気に行くお金がなくて(笑)。知り合いもいないから、どうしようかって考えて。ラウンジクラブって書いてあるところ、順番に電話して。で、だいたいピアノがなかったりするんだけど、ひとつひっかかって、じゃ明日来てください、って。で楽譜持って行って。最初は弾き語りしてたけど、だんだん歌伴?お客さんがオレも歌わせろ、みたいになって(笑)。』
A:『へえ…。弾き語りは何を歌ったんですか?そういう現場では?』
M:『映画音楽とか、スタンダードとか。わたし、東京に出てジャズピアニストになりたかったの最初。歌じゃなくてね。で、その修行のために今これをやってるんだ、って思って。もともと家がスナックで。お父ちゃんが流しだったりして。』
A:『へえ~…!』
M:『ディープでしょ(笑)。ジュークボックスを聞いて育ったから。歌謡曲とかよく聞いてたけど、その時は自分はジャズだな、って思ってた。そうしてるうちに父が倒れたりして、松江に帰ることになって。だから(実家の)店でママさんしてたこともある。松江市内でピアノラウンジしてたから。』
A:『今もそのお店あるんですか?(行ってみたい!!)』
M:『ないない。それが平成元年にオープンだったかな。で、妹もバーテンダーで手伝ってた。そのあとバブル弾けて。そのうちに私も結婚したり子供ができたり。はい、これで終わりました、みたいに思ってくすぶってたんだけど、友達がプロデュースするから、って言って。33でしたね。』
A:『ふ~ん…。』
M:『それも500枚つくって、それで終わったんだけど、3年後に再発になって。そのとき美音堂を立ち上げて12年いたんだけど。その後フリーになって。』
A:『それがいつですか?』
M:『4年ぐらい前。ちょうど(鈴木亜紀の)ライブを見に行った頃だと思う。』
A:『へえ~そうだったんですねえ。』
M:『そうかまた振り出しに戻ったということだ、って。でいろんな人にまた電話して(笑)。 ”で、ちなみに私って、いくらなんですか?” とか聞いちゃって(笑)。ギャラとか全然知らなかったから(笑)』
A:『ケラケラケラ』
M:『そう。みんな笑うけど、去年と同じで、とか言われても、わかんないから。で、これからひとりでやるんでヨロシク、みたいな(笑) そしたらみんな助けてくれて。だんだんちょっと慣れてきたかな。今はね。』
A:『どっかに所属する経験と、そこを離れて自分でやった経験と、両方あるのはすごくいいですよね。私は自分でやる、の方しかないからなァ。』
M:『ま、会社って言ってもピンキリだけどね。』
A:『私はこれ(Blue Black)とかも、できた後もうほんとにレコ発とか仕込む余裕なんかなくって、とにかくなん~にもしなかった(笑)。で、CD作ったなんて知らない人からたまたま、うちでライブやらない?みたいに声かけられて、じゃCD作ったことだし、って、全くCDには参加してないミュージシャン二人とライブした、レコ発です、とか言って(笑)。』
M:『あははは!』
A:『今回もまあ、こういう状況だから…。』
M:『てか、…してあげようか、私がプロデュース(笑)』
A:『わあ、それいいなあ~!!!』
M:『だからなんかレコ発とかしましょうよ。』
A:『ねぇ~。したい。したいです!しなくちゃ。』
M:『え、スタンスとしてはどういう風にやってこうと思ってるの?』
A:『今後?』
M:『うん。…あ、ひらめいた!歌詞のワークショップとかしない?私もやるから。一緒に。一般の人に歌作ってみて、って。』
A:『うわあ、面白そう!やりたい、やりたい!』
M:『けっこうカウンセリング的なところがあるわけ。みんな、なんかこう心の中にあることとか、言えないことを書いたりするから。あーでもそれ一緒にできたらおもしろいなあ。』
A:『うわあ、ぜひぜひ!!』
M:『実は私ね、東大でやったことあるの。そのワークショップ。いちばん面白がってくれたのが、東大の先生。それまでは詩を書いたことがなかったようで。』
A:『…歌詞じゃなくて、詩?』
M:『そうだね。で、チェックしてください、って言われて。ええ~私なんか、って言ったんだけど。でもどんどん良くなっていって、それが本にもなりそうで。すごいなあ、って思った。』
A:『へえ。』
M:『あのさ、シンガーソングライターって、詞も曲も書くし歌うし弾くし、総合的じゃない?でもどれか一個ってのもアリなんだよね。一個だからって、それダメじゃないし。』
A:『うんうん。』
M:『でもなんか、今ぜんぶできないとミュージシャンとしてどうなんだ?みたいに言われがちなんで、がんばってひとりでやった結果、残念、ってこともあるよね。』
A:『うん。モノつくるって、たぶん断片断片だったらみんなできるしいいアイデア持ってると思うんですよね。でもそれをひとつのものにまとめるときにすごいエネルギーが要って。』
M:『うん。編集能力、みたいなね。』
A:『そう。だから、ちょっと誰かがそれをまとめてあげるだけで見違えるものになったりしますよね。きっと。』
M:『そう。なんかね、今後…私もういい歳だから…。』
A:『(小声で)あたしも。』
M:『あの、四捨五入したら100だから…。』
A:『あはははは!!(爆笑)』
M:『だから、ちょっと、いろいろ、あの、おせっかいだけど、残したり伝えたりしたいし、若い人のいろんなことも教えてもらいたいなあ、と思うと…。』
A:『う~ん(激しくうなずく)。そうですねえ、そういう視点になっていくのがいいですよね。』
M:『自分の中だけの何かだと、なくなっていっちゃうじゃない?』
A:『あと、なんか自分疲れ、みたいなね(笑)。』
M:『そう(笑)。人が思いもよらないことをやるのを見て、ビックリしたいよね。』
A:『そうですねえ!今後の展望さっき聞かれたけど、そういう方向だと思う!!!』
fin
対談後記:浜田さんのライブ盤『MARIKO HAMADA LIVE 2017-2019 VOL.2』を聞き込みながらの文字起こしとなりました。なんと美しい声!!本当に絹のような光沢のある、やさしく凛とした声です。ピアノも絶品。
歴史館のカフェのあと、居酒屋→カフェバー(って、死語か?)の3段コース、松江の優雅な時間は、たのしくゆっくり過ぎてゆきました。これからは若い世代のミュージシャンたちを応援するのも楽しみだね、ってことで合意。ぜひ二人でも何かしましょう!島根に住んじゃえば!なんて話も盛り上がりました。真理子さん、素晴らしい時間をありがとう。ちなみに、今回のタイトルは『偏西風対談』。理由は?『特にないけど』です。さすが真理子さん(笑)
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