<67>夏も終わる

<67>夏も終わる

8月は、よく遊んだ。
予定だと今、さらに伊豆へ遊びに行っているハズだったが、事情でヤメになった。でももう十分遊んだから、ヤメになったくらいでちょうどいいか、と思いつつ、これを書いている。

8月は、ホントによく遊んだ。
京都の『ふちがみとふなと』(ワタシは以前それを、『ふちがみと』という姓に『ふなと』という名の、ひとりの人だと思っていた)と、小さな車に、ウッドベースと人間3人と旅荷物を積んで、3連チャンライブの旅をした。
歌っては飲み、翌朝から長距離を運転し、また夜は本番・・・などとやってると、ドタバタ、楽しくて頭がハイ&ヘンになるし、なにしろ猛暑、メインの8月4日(ふちがみさんとワタシの誕生日)のライブなんかは、白状しますと、ワタクシはヘロヘロでした。
でも、浜松の地元の方のみならず、東京からのお客さんも来て下さり、地元で評判の店のケーキなどいただき、よき人々と共に過ごせて、嬉しい一夜だった。

最終日ライブを京都で終えると、次の日、名残惜しくも『ふちがみとふなと』と別れ、ひとり三重県度会郡(わたらいぐん、と読む)に向った。
3連チャンライブ後のオフ日とあって、すっかり糸の切れたタコ気分で、わざわざ一般道の、しかも田舎道を行った。途中で風呂に入った。ここの、電気風呂がいたく気に入り、つい長居して日が暮れた。
そこからの道が、忘れもしない、国道166号から422、そして県道31号。このルートを初めて通るにおいて、日が暮れている、という事態の、あるまじきことを知った。
あるときから街灯ってものが、ひとっつもなくなり、ほんとうの『夜』があった。ときどき光るものがあってゾクッとすると、鹿の目だったりして。路面からは夕方降った雨が、熱で蒸発してゆく、その白いモヤが立ち上っていて、前がよく見えなかった。
泊めていただく一家も、心配しているだろうから、電話しよう、しよう、と思いつつ、おっかなくて止まれなかった。結局、夜9時頃、記憶の中かと思うような村に着いたが、行く手の先に、人 の住む集落があったことが奇跡に思えるほどの『闇』を、延々抜けてのことだった。

翌日目覚めると、あたりは素晴らしい景色だった。
その夜、山奥でのライブは、共演の『Yellow Soul』さんやお店、お客さんの助けもあり、我ながら久々にい~い心持ちで歌えた。ひぐらしや森の作用も大きかった。チリのようにつもった日々の疲れが、濾過された。音楽をやってきて良かった、と思った。

次の日、ほんとうに糸の切れたタコになった。
前夜の共演者RIKIさんと川で遊び(まさに川で洗濯をした。命の)、滝を見に行き、自然 学校の図書館でカップラーメンを食べた(ヒジョーに美味しかった)。
この図書館は、実に好みの空間で、おお我が部屋がここ にあったか、と思うほどだった。ヒョイと来て、ここでコーヒーを飲みたい。何かに集中するのにもいいし、昼寝にもいい。
蝉の声が、本棚の本に吸い込まれてゆくみたいな静けさと、風。
・・・けどももちろん、ヒョイとR166→R422→R31ってわけには行かない。

明くる日、RIKIさんの手作りウメぼしをいただいて(ワタシは男性からよくウメぼしを貰う女、という密かなジンクスが、ここで破れた。RIKIさんは女性)、名古屋の知人宅へ向 かった。久しぶりに、一杯やりつつ語り合いたかったのに、着くとクークー寝てしまった。

そしてまた、一般道を通って、静岡の実家へ向かった。
実家で祭を見て、東京に戻った。

ちなみに、運転ばかりしていたが、読むべき本も携帯していた。永沢光雄氏の遺作『声をなくして』を、寝しなにチョコチョコと。
この人は、かなり自虐的なわりに(この人に比べたらワタシなど、ちっとも、だ)、その裏返しである自意識過剰ゆえの他人への厳しさを感じない。主に、瀬戸際みたいなところに居る人たちにばかりインタビューして、文章を書いてきた人だが、軽妙な文体でありながら、その人たちのほの暗い荷物を一緒にしょってしまうようなまなざしが、痛々しい。痛々しい、なんて書くと、先人にしていち成人個人である作者に対して、失礼なのは分かっている。まるで哀れみ目線だ。少なくとも、ワタシは人からそう云われたら、ケッ、と思う。けども、ワタシのこれはそういう、優越目線ではない。まず、男性にしてこういう感性を持つひとっているんだなァ、と知った。
つぎに、この人と、電車にのって(ワンカップでも持って)行けるところまで行き、知らない駅で降りてみたいなァ、と思った。
そして、書くのはちょっと恥ずかしいが、この人に、アタシの歌を聴いて欲しい、と思った。100パーセント受け止めてくれるにちがいない、と思った。
そして根拠もなく、生きてるうちに、出会えていてもおかしくなかったのに、と思った。

 

 

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