<18>向島奇譚 その2

<18>向島奇譚 その2

日曜日、Sさんとまた向島へ行った。
7月にたまたま向島を歩いていて、昔は飲み屋だった民家の玄関を覘いたところ、お茶でも飲んで行けと云われ、その後5時間も二人で酒をごちそうになり、昼寝までして帰ってきたことがあったが、その『向島のお母さん』のところへ、再び行ってみたのだった。

あれ以来、Sさんと私は会えばいつも向島の話ばかりしていた。そのうち、なにか小さなプレゼントをしよう、と計画していた。少し寒くなりかけた頃にマフラーというかスカーフというか、つまり首に巻くものを贈ろう、と決めていた。
きっとあの年代の人だから(70手前か?)、自分で買う時はきっとベージュとか茶色とかの地味なものを選ぶだろう。自分ではきっと選ばないけど、身につけてみたら結構似合って気に入った、というようなのがいいと思った。だから若い女性が行くような店で買おう、と思っていた。
10月にライブで大阪に行った際、街を歩いていて良いのを見つけた。迷いなくそれを買った。その後京都を雨の中歩いたりしたので、外の袋がシワシワになった。
すでにすっかり秋も深まっていて、早く渡しに行きたかったが、なかなか二人とも都合がつかず、12月に入ってしまった。だから日曜日は以前からそのためにとってあった。

我々は『向島のお母さん』に会うなら、前もって電話などせず、前を通りかかって姿が見えたら声をかける、という再会をしたかった。つまりそれは、単なる‘こちらの都合’になってしまうのだけど。

思えば7月は、同じ時刻でもまだ十分に明るく、以前店をやっていた玄関は、中のカウンターが丸見えなほど引き戸が開け放ってあったが、12月なんて寒いから昼間だって玄関を開け放っていたりしない。外から姿が見えるはずがないのだった。
着いてみると、それどころか玄関の前にシャッターが降りていた。シャッターなどあったのか、と少し驚いた。完全に下までは降りていなくて、20センチくらい開いていた。中に人が居るようにも思えたが、ノックをしても声をかけても反応がない。でも、テレビはついているようであった。

お店時代の看板がまだ残っていて、そこに書いてある電話番号にSさんがかけてみると、どうやら番号はとっくに変わっているらしく、知らない男の人が出て、何のことやらさっぱり通じなかったようだ。
『お母さん』はこちらの名前も知らない。だから、『7月にここを歩いていてお宅に上がらせていただいていろいろごちそうになった者ですが、おばさんいらっしゃいますか?』、と申し出たが、ダメだと察したSさんは、すみません、と電話を切った。
電話に出た男性は、自分の妻が、自分のいない時にただ通りがかっただけの人を家にあがらせてもてなすのか、と訝っただろう。Sさんと大笑いした。

電話もダメだし、反応もないので、犬の、かつて、カウンターで飲んでいたゴールデンレトリーバーの、散歩にでも出たのだろうかと、小いち時間、裏のもんじゃ焼き屋で待つことにした。

肉もんじゃ、150円。しょうがもんじゃ、150円。焼そば、300円。ウーロン茶、120円を二つ。あんず巻〆、180円。合計1,020円という安さ。21世紀というのに。
ふだん店には地元の中学生などしか来ないのだろう、冷蔵庫にはプリクラが貼られ、アルコール類は何もなかった。ウーロン茶以外の飲み物のはり紙は、聞いたこともない名前ばかりだった。あんず巻〆、はじめて食べた。幸せの味であった。
店のおばさんにSさんは『この辺のヒトじゃないでしょ?』と尋かれていた。

もんじゃ焼きを食べ終え、再び『お母さん』の家の前へ行ってみたが、やはり反応がないので、シャッターの下の隙間に、プレゼントとメモ書きを差し込んで帰ることにした。

『クリスマスのプレゼントを持って突然来てしまいましたが、お留守の様なのでここに置かせてもらいます、びっくりしないで下さいね。7月は楽しいひとときをありがとうございました。いつも話題にしています。また寄らせて下さい。』

こちらの電話番号は書かずにおいた。
帰りの電車の中で、プレゼントのマフラーの色が淡すぎてどうなんだろう、と気になってきたり(でも10月に買って包装してもらったままだからどんな色だったか、もうよく思い出せない)、もしかして大掃除まであのシャッターを開けないかもしれない(それまで気付かない可能性がある)、とか、今夜、野良犬や野良猫が持って行ってしまうかも、などとぼんやり考えた。

我々は、‘昔は携帯がなかったから、待ち合わせに失敗するとそれきりになったりすることがあったけれど、今はそんなことがめったにないから、その分ドラマも少ないかもね’、などと話しながら、バーで一杯飲んだ。もんじゃ焼き屋の3倍の値段だった。

考えると、『お母さん』の顔が全然思い出せない。覚えているといえば、あのしゃがれた声だけだ。そのしゃがれ声にあのマフラーの淡い色がなぜかいいような気がしてあの色を選んだのを思い出した。

 

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