<40>カラスの仕業

<40>カラスの仕業

今まで、カラスは好きな動物だった。
秋の夕ぐれ、葉のない柿の木に実だけが鮮やかにたくさんついていて、その横でゴーンと鳴る寺の屋根の上を、アワワッ、アワワッ、と飛んでゆくのが好きだった。映画の寅さんでも一番好きなシーンだった。

ここ数年、ベランダのさもないものがなくなることがあって、風か、泥棒か、と思っていたら、カラスだった。
カラスは下着など盗まない。クリーニング屋のはりがねハンガーに、せんたくばさみがいっぱいくっついたカラフルなのが(私の下着がカラフルでない、という意味ではないね)、彼らのいちばんの狙い。

うちのベランダの向かい、8メートルくらい先に、美容院の屋上がある。そこのオバハンがポインセチアやなんかの鉢植えを並べていて、まい朝早くにキッチリ水撒きしている。
ある日、ものを干そうとしたら、カラフルハンガーがひとつもなくなっていて、はて?と見回すと、なんとハンガーが向いの屋上のポインセチアとポインセチアの間に落っこっていて、花に負けじとカラフル光線を放っていた。カラスが盗んで運ぶ途中に、あんまりたくさんせんたくばさみがくっついていて、重くって落っことしたんだろう。

春になるとにわか園芸をはじめ、やがて来る夏の灼熱&留守で全部、まるで跡形もなかったように朽ちさせる私も、コケ(杉ゴケ)と赤いカタバミ(百人一首では、おちぶれ、さびれの象徴だけど、春になるとかわいい小花が咲く)とツタだけは、真夏に死に絶えたように見えてもやがて復活するので、えらいと思って置いている。
でも、カラスはそんな復活のときの、うすく柔らかいビニルのような光沢をもった新芽をむしるだけむしって、コケの新緑をほじくるだけほじって、自ら荒らしたその光景を、美容室の屋上のわきの電柱から眺めている。むしられた新芽はそれでもコンクリートの上で何時間かつやつやしている。

うちのベランダの灼熱はすごい。灼熱とそのうえ放置を耐えてまで生きようとしている生き物を、食べるわけじゃないのに、ひどいじゃないか。

と思ったが、故郷やいづ港の釣り場のコンクリートの上に、ひからびた小さな赤い魚(釣り人たちは金魚と呼んでいた)や、小さなフグがたくさんこびりついているのを思い出した。もっと大きな魚を釣りたいのに小物がひっかかってしまい、針からはずすとそれを地面に叩き付けて、その上足でふんづけるのだ。
海へ戻しても、いちど針にかかると生きられないんだろうか?
子供のころから、それが見るに痛かったが、大人からは、そういうこともあるから慣れろ、騒ぐな、と云われた。よし、慣れよう、と思った。

実家の死んだネコのトラちゃんも、窓際に置いてあったウバタマサボテンを、いっつもほじくってはコロンと床に転がしていた。いくど鉢に戻しても、やっぱりいつもサボテンはコロンと床にあった。食べるわけじゃないのに。それを見つけるとサボテンよりむしろトラちゃんが愛おしかった。なんだ、あたしの感受性もエコヒイキしたり、いいかげんだな。

今、うちにはこの他パセリと、イズミさんと呼んでいる、室内から出さない鉢植えがひとつある。イズミさんという人からいただいた鉢植えだからそう呼んでるのだけど、新芽がいっぱい出るわりに大きくならない。鉢が小さいのだろう。でっかいのに変えてやろう。あと、引っ越してもっと広い所に住んだら、玄関に鉢植えの山椒を置こう。

あ、カラスの話をしてたんだっけ。
2006年に来日したリリアナ・エレーロは、京都の町を一緒に歩いていて、カラスの群れに近づかれ、怖れおののいていた。大嫌いだし怖いのだそうだ。
こないだ、いつもうちのベランダを美容室の屋上わきの電柱からジロジロ眺めているやつらが、なにかをめぐってケンカして、一羽は毛がむしられ肉がむき出しになっていたのなんか、リリアナに見せたら卒倒するだろう。アワワッ、アワワッ。

 

<40>