<41>実家の午后

<41>実家の午后

土地の神さま、水や火の神さまは’いるなア’と思ってきたけれど、このごろ妙に ‘風の神さま’を思うようになった。神さまと云うとなんだかロマンチックに聞こえるから、云い変えると、風って意志があるみたいだな、時には、今ここにいるアタシのために吹いてるみたい、と、気持ち良くなる、ってことです。

久しぶりに実家へ帰った。たまたま猛暑をはずれて、風の神さまがのんびりたむろしてるみたいな日。きのう、’夜風は年寄りと病人を殺す’なんてとても思えない、心地よい夜風を入れながら、久しぶりにせんべい布団でよく眠った。朝は日射しに起こされ、まるでリゾート。

午前中、なんとなく墓参りに行く。手ぶらで歩く。手ぶら、好き。本が無事に出たこと、ライブにたくさんの人が来てくれたことなど、報告(頭の中で)し、帰ろうとしたとき、ご住職に、帽子が’新式で’カッコイイ、とほめられた。

家に寄って、昼食。みそしるをつくり、冷凍ギョーザ、余りメシ、ゴボウのおしんこ。

午后、青果市場へ向かう。青果市場で肺ガン検診。上半身、金具のない服そうで、と案内に書かれていたが、受付の人に、検診車内で下着をとるような場所はありますか?と聞くと、家でとってきて、と云われた。めんどうくさいから、順番待ちの列にならんだまま、前後はオジイサンばっかりだからいいや、と、T シャツの下の下ギをとる。とって、サッとバッグに入れる。ふっと解放感。青果市場でブラジャーをはずす、最高。

検診が終わると、市場の前にある洋品店で、あたらしいデザインの魚河岸シャツを一枚買う。
たらんたらん歩き、子供の頃よく来た家具屋がなつかしいので、つい入ってみる。なんという広い敷地、広い駐車場。しかも3階立て。

このごろ、なんか私が近々、お金持ちになるような気がして仕方ない。灼熱の28平米アパートに、狭い狭いと云いながら暮らしている。家賃を払うたび、盲腸でもとられるような思いもする。それなのに、もう金持ちになったかのような気がしている、湧いて来る、このフシギ。
だから、高くていい家具、シックだけどシャレたカーテン、よく眠れそうなベッドなど、ラクショウ、って気分で眺めつつ、50円の急須を見つけたので、買う。広-い店内で見かけたのは、私のほか、たった3人のお客さん。
そう、私がいちばん心安まるときは、飛行機や長距離バスを待って待合室にいるとき。または昼下がり、いなかの市役所や、ガランとした家具屋に、ぼうっと立っているとき。

家具屋を出て、通っていた中学わきの藤棚の下を歩く。花が終わって、大きなインゲンマメみたいのがたくさん吊るさがっているのを、庭師の人たちが棚の上にのぼって切っている。’新式’の帽子の上にインゲンが、ぱらんぱらん落っこちてくる。庭師は笑っている。

新しい家が増えた。新式の庭。その前を流れるソッコウ(ドブ)には、大きな大きなコイがたくさん、背中をちょっと出して泳いでいる。コイがふりかえると水が、ぺちょ、とか、ニョルッ、とか、かすかな音をたてる。

ああこの音!なんたる幸せの音!ドブに入って殺生した昔がよみがえる。

恍惚に酔いながら家へ戻る。
このごろの私の幸せには、理由がいらなくなった。もちろん、不幸の理由があれば不幸になる。とくになければ、だいたい幸せ。いや、本が出たから、うれしいんだやっぱり。

家に入ると、美容院に行った母はまだ戻っていなかった。猫が風の神さまと閑談している。誰もいない実家の午后。わけのない幸せ。

 

 

<41>