<55> 仙人仙女

<55> 仙人仙女

つい先日、Nさんと10年ぶりに会った。
イベントの帰りで、お互い終電を気にしつつ、しょんべん横丁に入った。

Nさんとは、ちゃんと勘定してみると出会って18年になるが、60年くらい知っ ているような気がする。もちろん、それだと計算は合わない。
そのNさんに、この10年を(時間がないから)ふた言くらいで云え、といわれ たので、『相変わらず、大きいものは怖くないが、小さいものが怖いです、たとえば管理 費とか』と答えた。
ふたまわり以上年上のNさんは、ガハッと笑い、
『オレだっていまだに小さいものは怖いぞ、ケッケッケ。だけどキミは今ごろ仙女になっているだろうと思ったのになァ』

と云う。そもそも我々は焼酎飲みながら、それまで仙人の話をしていたんだった。

私の兄Mは、大学1年のとき『仙人会』というのをつくっていた。私は大学へ行っていないから、’キャンパスライフ’というのがピンと来ないが、いわゆるサークルというのをつくったらしかった。当時私は小学6年だったが、なぜかこの兄Mが当時書いていたサークル会報誌のまえがきをそらで覚えてしまってい た。今でも云える。

そもそもなぜ私が、新・仙人入門について書かなければならないのだか、
とんとわからないのだが、およそ人間たるもの、ちまちな物書きである。
クソ暑い夏に補習という名の恐怖の蛸部屋的生き地獄に身を投じた
という事実は、いまさら否定のしようもなく、
書くとなれば狂気の沙汰もなにも一緒くたにしてしまえ、
と思い、書いたのである・・・

M18才。世のなか、これからバブルになろうとしていた頃だったか。女子大生って言葉が、経済とか野心とかの起爆剤のような意味合いで使われている、そんな雰囲気を、私も感じ出した頃だ。きっと週刊誌の表紙には、いつも女子大生という四文字があったと思う。とにかく女子大生はありがたがられていた。私は、じゃあ自分も大学に行って、女子大生になって、仙人会をつくろう、と思っ ていた。

Mの仙人会が、どんな活動をしていたかよく知らないが、Mはキャンプをよくしていた。仲間と滝に打たれたり、ひとつのティバッグでいかにたくさんの紅茶を出すかを競ったり。そういう無邪気なことだったらしい。そして、卒業以降Mは、転職ばかりだが、常にちゃんと企業に就職していて、今もとき折様子を見る限り、物欲も普通にあり、食べ物のうんちくを云ったりもする、一般的な成人男 子だ。

私は結局、女子大生にはならず、その後、仙人’会’をつくるなんてことより、自分ひとり、山の中ではなくヤチマタにて、どう生計を立てるかに追われて、そんなことすっかり忘れてきた。Mの新・仙人入門のまえがきをそらんじることなどそれきりなかった。’小さなもの’にいつもせっつかれている、一般的な成人女 子だ。

それが、この日、Nさんと仙人の話をし、次に会ったときにNさんの知っている 仙人に会いに、山へ行くことになった。だいたいNさんと会うときはいつも、私 にとって何かおおきな変化の前ぶれなのだ。私は、ついに来るべきときが来た、 と気づいた。本題に入るべき時が。

別れ際Nさんは、『いいか2,3日食わなくても死なないからな』と笑って手 を振った。私はひとり改札に向かいつつ振り向いて、Nさん年を取ったな、と思った。けどもいっそう清清して見えた。彼が、というか、彼のまわりの空気 が、というか。Nさんは、仙人になりかけているんだ、と感じた。

年を取るというのは、来るべき新しい世界の幕開けなのだ、というのが’ハッ キリ’腹に落ちたのは、生まれて初めてだった。自分の中で、久しく麻痺してい た『感情というもの』がよみがえってきた気がした。

 

 

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