<71> ふんじつもの

<71> ふんじつもの

人は日々、あっちこっちに何やかや落っことして歩いている。
ピアスに髪飾りはあたりまえ、入れ歯にメガネ、財布など、一点あつらえものや、生活に欠かせないもの、また毛髪や皮膚片に至っては、落としたことに気づきもしない。
駅や空港の遺失物管理室は、どんなに忙しいのだろう。私もしょっちゅうモノを落とす。腑に落ちないのは、公共の場で何か無くして、心当たりに電話をかけ、要旨を伝えても、‘じゃあ、あったら電話するから番号教えて’ と云われたためしがないこと。その後モノが届けられたら、悔しくないんだろうか?電話代くらい置いてゆくのに。

おととい、北海道ツアーが終わって、空港からリムジンバスでと思ったがいい便がなく、電車で帰ることにした。スマートな人々はそういうとき、成田エクスプレスとか、何か早くて直通のものに乗るだろうが、私はそれまで北海道で豪華な寿司ばかり食べていたものだから、ちょっとは貧しさを思い出そうと、何度も乗り換え、そのたび駅構内を、背中に竪琴しょって肩からバッグふたつ提げ、そのうえキャリーバッグに長靴で、昇ったり降りたり歩いたりのコースを選んだ。
途中、キャリーバッグの上に、肩から提げていた重いトートバッグを載っけると楽なことに気づき、キャリーバッグの持ち手にバッグをくくった。要領よくやったつもりだった。

どこかで、ペチョッと音がした。まさにリノリウムに文庫本の落ちるような音だった。振動で、トートバッグの口から中身が飛び出した、と察した。止まって振り返ったが、床に見覚えあるものは見えない。あれえ、確かに何か落としたみたいだけどなァ。
バッグの中をざっと見たが、文庫本も電子辞書もある、フィルムもレンズもアレもコレもある・・・。

そして家に帰った。
さて、旅は終わったし、明日から何するんだっけと手帳を探し、気がついた。落としたのは手帳だったと。あの、ペチョッという音で振り返ったのが、どこの駅だったのか考え続けたが、特定できなかった。

オフ日はメガネをかけている。
私のメガネは脳ミソに優しく作られているので、あまり遠くは見通せない。そのせいかどうか、メガネ人生になって以来、しょっちゅうモノを落としたり置き忘れたりする。

以前も広島で、気に入っていたライブ用の、まだ新しく、何色にもどんな服装にも合う、形の良い、サパテアード(フラメンコのステップ)でいい音のする、かつピヤノのペダルも踏みやすい、さらに意外と安いという優秀な靴を、失くした。
絶対にここだと確信して、出たばかりのライブハウスに電話したが、店の主は『ないよ〜』という。アソコの下とか、アレの上とか、云ってみたが『ないねえ〜』という。友人が店に行ってくれたが、やはりなかったという。タクシーに電話しても、丁寧な口調で、ない、をいう。
仕方ないから次なるライブ地、兵庫へと向かったが、どうも気になって、兵庫ライブが終わった後、心地よい寝床を用意して戴いたにも関わらず、夜行バスで広島へ向かった。
早朝着いて、ライブハウスから打ち上げをした店へ、そしてタクシーを拾うまで歩いた路地へと、かの靴をキョロキョロと探して歩いた。せっかく戻って来たから、と2,3周したが、見つからなかった。コンビニも交番も、なし。交番で、じゃ、でてきたら連絡もらえませんか?と番号を云おうとしたが、また電話してみてください、と遮られてしまった。
その後、いちど東京から交番に電話を入れてみたが、ダメだった。さすがにあきらめた。
新たに買おうとメーカーに問い合わせたが、在庫がなかった。

大事にしていた扇子も、岡山のライブハウスだかホテルだかに落としてきた。
師匠にいただいたばかりのものだった。ほんの少し前、別の扇子を別の店に忘れ、後日ピヤノの中から救出されたことがあったので、ピヤノの上に多分あると思うんですよ、と云ってみたが、なかった。電話番号は控えてくれた。ホテルにもなかった。ホテルはあったら電話する、と云ってくれた。

モノはモノ。
いつか壊れたりして、なくなるものだ。そんなに執着してるつもりはない(広島まで戻っておいて云うのもナンだが)。でももし、まだどこかに存在するのなら、その可能性があるのなら、探したい。そのものが惜しい以上に、昨日まで手元に確かにあったものが、忽然となくなることの不思議に完全に魅せられている。広島まで戻る深夜バスの中で、自分の行動がおかしくて変な高揚感があった。あの安い靴の為に往復いくらかけるんだよスズキ!

・・・で手帳だが、おとといも昨日も、鉄道数社(つまり成田から乗り換えた数社)に電話して、ない、と云われ続けた。誰も連絡先を聞いてはくれなかった。ということは、諦めがつくまで電話をし続けるのか・・・。過去の経験から、手帳ごときは忘れることにした。電話したり、過去のメールをひもといたりして、今後の予定をできるかぎり復元した。

忘れることにしたのに、今日、新宿駅でふと、おととい通った連絡通路(ペチョッ、がどの駅だったか分からぬままに)に行ってみた。たまたま、通路を清掃しているおばさんがいて、期待せずに、手帳について尋ねた。そしたら、さあ、その通路の奥の防災管理室で聞いてみてください、と云った。期待せずに、‘防災管理室’へ行ってみた。
手帳を落としたのですが、はいお調べします、…..2013年のですね?、はいそうです….ご確認ください….うわー!ここにいたんだ!

届けてくれたのは、連絡通路沿いにあるユニクロの店員だそうで、一体、鉄道会社の遺失物管理室と駅の連絡通路の店舗地帯の‘防災管理室’は、連携されているのだろうか、と考えながら、自然と足がユニクロへ向かった。
春っぽいパンツを一本買った。その人はお休みだったが、よろしく伝えてくれるという。パンツはSかMか迷ったが、店員のすすめでSを買った。店に試着室がなく、ダメだったら後日取り替えてくれるという。帰宅して穿いたらピッタリだった。
正月、もうじき北海道だからと、ユニクロで大量の防寒着を買ってよかった。

*ふんじつもの・・・落語で、なくしもの、のこと

 

 

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