<42>秋、ひとが逝く

<42>秋、ひとが逝く

今年、人がよく亡くなる。
毎日、たくさん人が生まれて、亡くなって、それを30万年くらいの間ずっーとやっていて、だから特に今年がどうだ、というわけじゃないだろうけど。
ちょっと前では、好きだった俳優、緒方拳さん、峰岸徹さんが。知人が、知人の身内が。
そうして、今日、ジャーナリストの筑紫哲也さんが、亡くなった。

亡くなる、死ぬ、死去する、息をひきとる、他界する、召される、昇天する、帰幽する、世を去る・・・
私はいつも、死んだ知人たちに、臨終のとき、体がどういう感じがしたのか、聞いてみたいのに、と思う。私の夢には、亡くなった知人が何かメッセージを云いに現れたりしない。友人と書かずにすぐ、知人、と書く私もいけない。ホントウに、死んでそれっきりになってばかりだ。

私が死んだら、喪主をやってくれる、と云うチジンがいる。どういうのがいいかと聞かれたので、やっぱライブじゃん?と答えた。ちゃんと入場料取って、演奏したメンツで山分けしてよ、とつけ足した。さいごのさいごに守銭奴のイメージを残して去る。
でも、考えたらよっぽど長く臥せって準備ができていればまだしも、死にました、その二日後に葬式です、というときに、いきなりライブは大変だ。

緒方拳さんや峰岸徹さんに会ったことはもちろんないけど、筑紫哲也さんには知人のはからいでお会いした。そう、2006年リリアナ・エレーロで、お世話になった。筑紫さんがリリアナの歌に興味を持たれて、それであんなに丁寧にとりあげて下すった。
お話したとき、少し緊張もしたけれど、何だかすごく穏やかな安心感を得た。人に会ってああいう感じがしたのはひさしぶりだった。私はけっこうハードな状況に置かれていた時だったけれど、ああこの人は「何かをする」という大変さを知り尽しているんだろうと思うと、心のざわつきが静まり、スーっとした。あんまりたくさん話さない方のように思えたけれど、こちらの話をじっと聞いていて、最後にポンといいことを云って下さった。お陰で、計画に勢いが増し、たくさんの動員を得られた。
入院されてからお手紙をお送りしたら、丁寧にあたたかいメッセージを贈っていただいた。カッコイイなあ、とつくづく思っていた。

なにか、この世がわからなくなったとき、どう思うか聞きたいような人ほど、どんどん逝ってしまう。教えて欲しいのと同時に、なれなれしく「きっと、(自分と同じように)○○と感じてますよね?」と気持ちのどこかで話しかけている、あの感じ。
でもだあれも夢に出てこないし、考えたらその人が生きてる間ですら、本当に聞きたいことは、けっきょく自問してばっかりだ。

筑紫哲也さん、ありがとうございました。

 

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