<44>青い粒々

<44>青い粒々

わたしの前世の行いも悪かったのだろうけど、日々とかく苦労が絶えない。ひとつ終わると、ふたつみっつ、さらにでっかいのがドッカンドッカンやってくる。
そんなわけで、P師が私のヤケ酒につきあってくださると云うので、久しぶりに飲み食いのためだけに夜の新宿にくり出した。

11月も終わりの夜の街には、青色発光ダイオードが寒々ピカピカキラキラしていて、こういうところを歩いてみるのも、シホンシュギケーザイの中でちゃんと機能してるひとみたいで、悪くはないなア、と思った。

Pは、知らなかったけど、61才だそう。
師だけど、いつもスケベエなことばかり云っていて、そういうひとはたくさんいるけど、私の周りのもう枯れちゃった人はみんなそうだ。
そのPと他愛無いことでカラカラ笑いながら羊の肉を食べたあと、酒場へ行ってPの弾くギターでフラメンコをがなった。隣り合った客もおかしな人たちで、ゲラゲラ笑ってばかりいて、店に入ったのが8時半だったはずなのに、なぜか次の瞬間12時半になっていて、終電を逃した。うっかり楽しい酒になってしまった。

まだ青色発光ダイオードなんかなかった頃、そういうところを歩くと今よりさらにもっと似合っていたかもしれなかった頃、流行歌はよく『大丈夫、そばにいるから、キミは一人じゃない、ボク(ワタシ)がいるから』うんぬんのようなことを云っていたように思う。
大丈夫というからにはそのボク(ワタシ)は、一体見ず知らずのわたくしにどんなイイことしてくださるんだろう、と思った。
『ささやかな、望みやぶれて、哀しみに、染まる瞳に、たそがれの、水のまぶしさ』(川は流れる/仲宗根美樹)なんて口ずさもうものなら、マイナス思考な歌は歌やめて、と忌み嫌われそうな気配があった。
だから私はこういうキラキラの下を当時、歩いたりしなかった。

が、年月たってこの度は、行きも帰りもわざわざその下をすすんで歩いた。歩きながらPに云った。
『わたし、この数年ズーっと金のことばかり考えてるんです、気がつくと金カンジョーばかりしてる、そういう人になっちゃったみたい』
金カンジョーと云ったって、末子の代まで残すようなのでなく、家で、もしもピアノが弾けたなら、というシンプルなことのための工事にまつわる金カンジョー。

Pが云うには、青色ダイオードを発明したひとは、クラゲをヒントにしたらしく、外国へ行っていろんなクラゲを買い漁って研究し研究し、金も時間も、つまり存在すべてをシンプルな’青い光をつくれたらいいなあ’、に費やしたんだろう、と云った。
ホントーかどうか知らないがとにかく、オレがいるから大丈夫だよ、とは云わなかった。まアな。
が、そしたらキラキラ光るダイオードの下を歩く自分が、シホンシュギケーザイじゃなく、ニンジョーに包まれて現代を生きているひとのように思えてきた。

 

年の暮れ青ダイオードの粒のまぶしさ

 

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