<59>ひと夜のタナゴ

<59>ひと夜のタナゴ

いま、旅から帰ってきた。
この頃は、ただただ景色を見に行くような旅をしていない。7,8年前までは、お金はなくても気楽で、時間もあって、よくふらりとどこかへ出かけた。社会人なのにこんなことしてていいのかなと、どこか後ろめたい感じをひきずりながら、未来の想像にふける旅が、なかなか好きだった。
この頃は、さすがにそんなゆとりはない。歌いにゆく、とか、CDを行く先で買っていただきたい、など、具体的目的をもった’行商の旅’ばかりだ。そうして、帰ってきたらすぐ、また旅の準備。
今日も、次の旅の準備をしながら、終わったばかりの旅をつらつら振りかえる。

・・・和歌山で最終ライブを終えて、地元の人々に良くしてもらい、うれしい気分で静岡の実家へ寄った。その足で、母を連れて、車で愛知県へ一泊旅行をした。帰りに、道の駅で売られていたタナゴを衝動買いした。三匹490円。

母『あんた、どうするの、その子たち』
私『そうか。ぶくぶくとか買わなきゃなんだよね。生き物はよく考えてから飼いなさいって小学校のとき習ったのになあ』

キャップに空気穴のあいたタナゴ入りペットボトルを、ドリンクホルダーに入れて運転していたが、清楚な態で機敏に泳ぐそのけなげさに、少し気が重くなってきてしまった。いい年して生き物を衝動買いするなんて。
私『お母さん・・・飼って!』
母『・・・しょうがないねえ』

あきれた様子ではあるが、まあ、あとさき考えずタナゴを買うなんて、若さってことだ、と褒められもした。いやいやお母さん、アタシだってこんなことしようと思ったのは本当に久しぶりで、これも今回のひとりきりの’行商の旅’で、いいひとたちと会って、あんまり楽しかったからそんな気にもなったんですよ、とセリフ調で云いたかったが、云わなかった。はたまた、久しぶりの長旅で、にちじょうのシガラミや旅ばっかりしてるじぶんのタチバも忘れてしまい、ただただこれらのタナゴと一緒にいたいというせつなの情だけで、つい過ちを犯してしまったのかもしれません、とも思ったが、云わなかった。

実家にもどってから、物置からはるか昔に使っていた水槽を出してきて、洗った。一晩水を張っておいて、水漏れがないかをチェックしつつ、タナゴのためにカルキを抜こうというわけだ。母もめんどうくさそうにしつつも、タナゴを飼う覚悟を決めた様子。もちろん私は翌朝ホームセンターに行って、必要なモノ一式そろえてから東京に帰るつもりでいた。携帯のインターネットでタナゴの飼い方も調べた。

が、コトの成り行きは不思議なものだ。知人が実家の前を通りかかり、私の車を見て今焼津にいるんですね、とメールをよこした。その返信にふと、誰かタナゴを欲しい人はいないか?と書いた。すると、即座に、いる、と返事がきた。うちの近所の和菓子屋さんだという。早速翌朝、取りに来てくれることになった。

母にそれを云うと、ちょっとガッカリした様子で、それでもホッとした顔で喜んだ。母が云うには、以前買ったそこの和菓子はおいしかったそうで、店に飾ってあったカレンダーと絵の好みが、母と同じだったのをよく覚えているらしい。あのお宅なら安心だ、とのこと。ひと夜とはいえ、情も湧くもの。

・・・さっき東京に着くと同時に、知人から、子供の背丈ほどもある立派な瓶の写真がメールされてきて、その瓶の中へ、無事入居したとの連絡があった。メダカとタナゴの飼育には長けたお宅だそう。ぶくぶくも水草もある。玉の輿に乗ったな、と思った。ホッとした。
こんど帰ったら、和菓子を買いつつ瓶の中を見せてもらおうと、楽しみにしている。

 

 

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