<82> 死ぬならここ

<82> 死ぬならここ
 今年も11月が来た。それも、はや半ば。
 11月は不思議な月だ、と毎年思う。自分も世界も、なにか実態が薄くなるような、スキだらけのような、ふっと宙に浮いたような感じを覚える。それでいて、我に返ったみたいに、この宙に浮いた、スキに入り込んだのが本来の時間のような気に、させられる。

 気温とか日差しとか、そういうことに関係してるんだろうか。

 

 去年の今日、私はレバノンにいた。
地中海に面した、石油の出ないアラブの小さな国だ。万年、政情不安定でテロが頻繁に起こる、かつて赤軍の重信房子が暮らした国だ。またかつて、一時フランス統治だった、中東のパリと呼ばれる古い国だ。スキー場はあるが、交通も至極不便な鉄道のない国だ。イスラム教徒とキリスト教徒が混在する国だ。
 
 その国の南、となりのイスラエルにほど近いある海岸で、私は初めて『あ、私、死ぬならここがいいな』と思う場所に出会った。
 その海岸のこじんまりした一角にあるベンチに、昨今の終活ブームの影響かそう思いながら、何時間もぼんやり座っていた。暑くも寒くもなく、明るく、静かで、風が少し吹いていた。というより、空気がいつもほどよく動いていた。
 そのベンチに座ると、前と左に海、後ろと右が陸で、右は古いレンガの建物の裏にあたり、細い小道が続いていた。そこに波が小さくしぶきをあげていた。時おり、ひとり、または二人連れが、後ろから歩いて来ては、その小道へと通り抜けた。目の前では、のんびり漁をする小舟が、来ては去った。座ったままで、すぐそこまでスイスイとやってくる魚も見えた。
 どんなにいい風景だと思っても、異国でひとり、屋外で、そんな長時間ぽつんと何も気にせずに居られた場所は、それまでなかったように思う。

 

 私はうつ病とかでなく自殺願望もない。死に場所を探して旅してたわけでもなく、いい場所を見つけたからといって、『前倒し』するつもりもない。単に、その時が来たら、よしそろそろ、と必要最低限のものだけ持って現地に舞い戻り、明るい昼間にそのベンチに座ったまま、ふうっと逝けたらなんとステキだろうと、思っちゃったんだから仕方ない。もちろん、虫のいい甘い夢だ。

 

 だって。
 死ぬって、現代、そんな簡単じゃない。
 まずは、日本を出て現地に舞い戻る前に、わずかではあれ、自分が持っているものを整理して行かなきゃいけない。
 住処を引き払い、口座を解約。
 諸登録を抹消し、ハードディスクの中身を整理。

 これはもうじき逝くのがホントに確実、でなきゃなかなかできないことで、そもそも物事に、ホントに確実、ってどれほどあるのか。さらに、整理の手間や脳ミソの仕事量もかなりのものだろう。そろそろ逝く、のが確実になった身で、それだけの気力・体力を保つのは至難の技だ。楽器や機材など、また、ベランダの植木たちなど、人に引き取って欲しいものについても、ひとつひとつ行き場を指定し、了承も得ておかなくちゃ。あ、カメラも。
 

 いや、引き取ってもらわなきゃならないのは、まず、自分の息絶えたあとの身柄、だった。
 当然、レバノンのお役人は、ベンチで『入滅』した日本人を、日本の外務省を介して、国へ送りかえそうとするだろう。ちゃんとした『死亡診断書』ももらわなきゃいけない。そんなお手間をかけるのも悪いし、日本で引き取っていただく方(誰に頼む?)には、骨になってようと、その前段階だろうと、相当な手数をかける。なんでも、なきがらに関するそんなこんなには100万円〜150万円、かかるらしい。それも用意しとかにゃならん、いくらか上乗せして(CD何枚売ればいいんだ?)。
 遺言状のようなものに、
『どうぞ、クリスチャン式でもムスリム式でも、こちらのやり方に則って、いちばん簡便な方法で処理してください。まぁ、できたら火葬してカサを小さくしてもらい、この海に撒いちゃってもらえたらいいんだけど、それもアレなら、どっかに埋めてもらえますか、あ、ついでのあるときでいいです』
とアラビア語で書いておいたとしても、それもそれなりの手間をかけるだろうし、生前信仰もなかったくせに、と不評も買うだろう。とにかくコトはそんな簡単に済むハズがない(済んじゃったらすごいけど、まかりまちがって)。
 
 いや、それ以前の懸念も。
 どうにかこうにか、いろいろ整理して日本を出たとして、問題はその海辺まで、たどり着けるか、だ。
 空港から首都ベイルートの町へ出るのすら、タクシー交渉で難儀した(空港に乗り入れてるバス、ってものすらない国なのだ)。そして町から南部ゆきのバスターミナルまで、またタクシー交渉して疲れ果て、さらにそっからバスを乗り継ぐ。もうじき息絶える身で、そんな元気あるだろか?いや、人生、最期ぐらい交渉抜き、言い値で気前よく行こうよ。チップもはずんじゃう?運転手にランチもおごって?どうせ南部行きなんて、人はちょっとしか乗ってないだろうから、乗客みんなにおごっちゃえば?

 

 で、あのベンチにたどり着けたとして。
 見つけた人はどうだろう?いくらビックリさせないように、美しい手紙のよーなものを書いて握ったまま私が逝ったとしても、その人はなんらかのショックを受け、落ち込んだりする可能性は高い。縁起でもないとか、呪われたような気分にさせたら申し訳ない。せめて穏やかな形相でいられるよう、痛みや苦しみを感じず逝けるように、手を打っとかなきゃ。うっかり、すんでのところで病院に運ばれちゃったりしたら、海外での診療費、いくらかかるか!で、医療のおかげで元気にしてもらっちゃったら、日本に帰って、住むところも、お金も、売るものもないってか。
 う〜ん、諸々考えると、誰か理解ある付き添い人が必要かも。その人のギャラと足代とご飯も、やっぱしもたにゃならんねぇ(さらにCD売らなきゃ)。

 

 肉体があるって、あらためて何と難儀なことか。いや、あるから歌ったり、ピアノ弾いたりできるんだけど。死んだりも。

 

 虫のいい甘い夢だったはずが、一気にしぼんでしまった。やっぱり完璧主義っぽい思考はよろしくない。もったいない、ハイもう一回、単なる虫のいい甘いとこだけ、想像しなおし!
 …そんなことを、ぼんやり考えていて飽きないのも、きっと11月のスキのせいだ。その11月、今日からグッと冷え込んできた。あれから一年。季節はひとまわり。

 

 それにしても、あの海はピッタリきた。ただでさえ、妙な時空に入りやすい11月のことだったにしろ。ああ、来るべきところはここだった、死ぬのもここだ、と感じた。
 たとえ旅の欲目、いっときの錯覚にせよ、あの感じは幸せのひとことに尽きる。
 ああ、そうか。それを求めて旅をするんだ私は。死に場所じゃなくて、その感じを求めて。

 平たく云うとつまり、感動した、ってことか。あ、そう云っちゃうと、なんかちょっとガッカリだな。