<24>焼津荒祭
- 2004.08.19
- column
今年も、故郷のまつりを見て来た。
思った。
焼津の祭はイチバンだ、と。イチバン、て、この世の祭全部を見たわけじゃない。他にもいい祭はいくつもあろうが。
毎年、ある理由で8月12日と13日のこの祭の全行程を見ることはできなかった。見れて6割程度だったか。
それが今年はじめて、この『歌う荒祭宣伝女』ですらはじめて、8割の行程を、行列やらなにやらにくっついて見て歩いた。炎天。不眠。深酒。そして何キロも歩き2日が経った。
子供がたくさんいた。老人もたくさんいた。そして何より、若者がたくさんたくさんいた。髪型など、とにかく目立ちたいらしく(みな全身白の装束を着ているから、いじるところは髪型くらいしかないのだろう)、『アンエトウ』というかけ声の『トウ』が、『ツォウ』に聞こえるような巻舌だったりで、それぞれ皆ギラギラしているが、なんと真剣に祭を『やって』いたことだろう!そのギラギラさがその真剣な様子のおかげで、ヤラしさどころか愛おしさを誘う。
東京から同行して貴重な大人の時間と体力とお小遣いを焼津祭にあてて、共に延々歩いてくれたTさんとGさんも、特に若者の姿に感心していた。
おお!焼津の若者、熱いじゃないか!
暗たんたる事件も多い中、彼らの姿に、よし、こういう若者がこんなにこの世にいるのなら大丈夫だな、と安堵を感じた様子。
13日深夜、祭も終わりに近付いて、トランスが佳境に来たところで、Tさんは感激のあまり泣いてしまった。Gさんは後日、焼津はいい町だよ、あんなところは他にないよ、とまで云ってくれた。
祭の意義、由来やあり方については、いろんな考え方があるだろう。いろんな人がいろんな事を云う。宗教的なこと。政治的なこと。全く関心のない人もいるだろう。
でも私は見た。
祭に出ているたくさんの人達から、なにかもやのようなのが抜け出て行き、無目的な、でも圧倒的な『燃焼』のうちに、すうっと解き放たれていくのを。そうしてそれを見ている人達からも、それを見ている私からも、なにか日常の澱のようなのが体から抜けるのを感じた。
この先何があったって、生きていける、というような、そんなものが湧いて来た。
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