<32>また、正月のこと

<32>また、正月のこと

子供のころ、百人一首が好きだった。
同じ日本語なのに自分の使うのとまったく違う響きがあって、ヘンなの、と思いながら興味をもった。100コ集まって一つのもの、というのも特別な感じがした。

祖母が『歌会』に入っていた。
うたかい、じゃなくて、カカイ、と呼んでいてクールだった。ときどき南向きの6畳の祖母の部屋に集まっては、おばあさんたちが試験前の女学生みたいに紙を拡げていた。

祖母は、ほんとうに女学生みたいだった。結婚7年目くらいに夫(私の祖父)を亡くし、それからずっと娘(私の母)と二人きりの生活。私の覚えているのは、老いてその南の部屋で短歌を書いたり、短歌の話をしながら友人とお茶を飲んだりしてたこと。
今思えば、ちょっと屈折したところもあって、けっこう個性の強い人だった。

そういうわけで、祖母とは百人一首で遊ぶことがよくあった。でも、一度も歌の意味を教わったことはなかった。全部そらでいえるようになっていたけど、意味はわからないし、切れ目もめちゃくちゃ。

高校に入って、古典、と呼ばれる授業で百人一首をやったとき、とてもイライラした。なんでかというと、とっても濃厚な恋愛の歌があんなにもたくさんあったと知って、語感だけでイメージしていた世界がすっかり違っていたショックもあるが、なにより、自然の描写に必ず詠み人の感情をなぞらえているのが、もうたくさん、と思った。

流れる滝が二またに別れる、でも下の方でまた一つになっている
・・・と同じように、今は二人別れても、きっといつか一緒になれるのだ

とか、

月をみて涙が出て来る私であるよ
・・・本当は涙させるのは月などでなく心変わりをしたあの人なのに

とか。

歌の肝の部分にこそ、拒否反応のようなのを感じた。え、私のお気に入りだったあの響きにこんなにぎっとり意味が盛られていたの? 喪失感のような、息のつまるようなショックがあった。

ああ、滝の白いのがふた手になったなあ、ああ、またくっついたなあ、
ただそれだけのことじゃすまないのか?
ヒトはただただ月をみて涙するわけにいかないのか?
そこまで具体的な不幸がないとヒトは泣かないものなのか?

私が子供だったのもあるだろうが、今思えば『訳すことの弊害』もある。云わずに留めておかれたものも、訳すと必要も出て来て、云ってしまわざるを得ないことがある。
実際、ワケもない涙、ってあるかと思うが、それをあえて口にするなら、『私はなんだか泣けてきた』、でもそれだけじゃ伝わらないってことになり、『○○ をしていると』とか『××を見ていたら』がつく。さらに、そこには『なぜなら当時つらい恋愛をしていて』とか『不遇にあって』とか、個人的な心理状況。そういう、丁寧な訳の、負の部分。同じ言葉をつかい、同じ社会の仕組の中で生きてたら、必要ないかも知れぬ言葉たちが入り込むことによる、負の部分(もちろん、なるほどそれじゃあ泣けてもくるわ、とわかるという、正の部分もある)。

さてそれを知って以後、葉っぱをじいとみつめていると、どこかの時代の誰かの嘆きが聞こえてくる。木の枝が枯れるのをみると、死ぬ人の気分になる、風が吹くと、雨が降ると、桜が咲くと、鳥が飛ぶと・・・

目に見えるあらゆるものに、誰かが歌に込めた感情が浮かび上がってくるみたいな気がして、うげえ、と思った。もう、遠い昔の話ですけど。

この正月、母と一泊である宿へ泊まった。部屋から海が見え、正月には珍しく曇った向こうの島に、舟が音もなく行ったり来たりするのを見て、

ゆらのとを渡るふな人かじをたへゆくへも知らぬ恋のみちかな

を思い出して、

『…って、あたしあの歌けっこう好きだったなあ。ちょうどこういう曇った海を舟が行くんだよ、アタシの頭ン中じゃあ。で、船頭は棒を一本持ってるだけの、やせたおじいさんでさ。かすれ声の。』
と母に云うと、母は
『あたしはあれが好きだったよオ』と、(どの句か忘れたが)詠みはじめた。が、下の句が間違っていた。
『やだよお、年とるとあんなに好きだったものも忘れちゃうだね。』と云った。
そういえば、おばあちゃんはどれが好きだったんだろう、と聞くと、あの人はねえ・・・、と母はしばらく考えて、
『ええ、と、下の句が、乙女の姿しばしとどめん、ていうの。』
とまでは云ったが、上の句は二人ともどうしても思い出せなかった。

『あと、あたし、ももしきやふるきのきばにしのぶにもなほあまりある昔なりけり、も好きだったなあ。』というと、
『あんたア、子供の頃から枯れてるのが好きだったからねえ』と云うのだった。
そういえば小学生のころ、理想の男性はときかれ、桃屋のコマーシャルに出ている三木のり平を指差して、『やだよオ、この子は。』と云われた。

東京へ戻って、すっかり日常に戻った頃、たまたま新刊の百人一首に関する本を手に取ったら、例の上の句がわかったので、句に合うと思われるポストカードに、

天つ風雲のかよひじふきとじよをとめのすがたしばしとどめむ 僧正遍昭

と書いて母に送った。

母は、宿で百人一首の話をしたことなど忘れていたようで、返事もくれず、なんの反応もなかったので、ちえっ、と思った。よくこういうとき、私は母より情の深いタイプだ、と思う。でも母は年のせいにする。

ちなみにそれは、その先人達の歌を全くの好き嫌いで品定めしてやる、という本で、祖母の好きだったその一首のことを、ぼろくそに云っている。現代語訳はなく、それを詠んで作者が何を思ったか、だけが書かれている。面白かった。

私が祖母を『女学生みたい』となんとなく思っていたのは、その歌の『をとめのすがた』という言葉とダブっていただけのことかも知れない。

 

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