<47>譜面に悶える
- 2009.04.03
- column
昔から、譜面を書くのがキライだ。苦になる。
なんでかと云うと、多分、計算が得意でないからだと思う。一章節、3拍子ならトータルで3拍になっていなきゃいけないのに、よくよく数えると3.5になっていたり、 1.5、あるいは、もうわかんなくて、8とか10とかになってしまったりする。
なのにさらに、20代のころ、これじゃわかんねえよ、と年上の演奏家の人たちに、よくしかられたので、しかられないよーに、ちゃんと書こうとしているからだと思う。
それはそうだ。
音ぷは、『棒』と『玉』でできていて、わずか間隔2、3ミリの五線の一本のどまん中か、ニ本の間にピッタリと『玉』がはみ出ず収まらないと、ドかレか、ミかファか、わからないし、ましてや譜面を渡されてパッとセッションするような種類の演奏者にとっては、私の『棒』と『玉』が離れていて、スキ間だらけのフニャけ譜面は、ほんとうに困りものだったと思う。
筆跡占いで、漢字のひと画ひと画がくっついていない人は、金運がないとか浪費家というけれど、譜面占いがあったら、私は計算のほとんどできない浪費家。
そういうわけでいろいろ反省し(金運もかかってるし)、ちゃんと書こうとする。それで凄く悩み苦しむ。体感や語感(歌詞の)としてはつじつまの合うこの時間感覚が、どーして譜面に書けないのだろう、と。譜面、て、時計では測れない、その時間感覚をこそ表わすために出来た智恵の手段のはずなのに、と。
あくまでその智恵の手段にのっとって書こうとすると、私も計算しながら悶絶してしまうし、それを見せられた方も、えらい複雑な譜面を見せられて計算に追われ、目の悪い人なんて大変(今それがよく分かる)、楽しんで演奏するどころではなくなってしまうのだ。第一、悶絶して書いた挙げ句、何度も確認してみたのに、弾いてみるとやっぱり間違ってるし。あれーおかしいなーなんでだろう、と首をかしげるばかり。
そこで思いついたのが、もう、許してもらおう、ということ。幸い、それでもつき合って下さる演奏家たちとも知り合うようになって、この★マークに来たらこっちの ★マークに飛んで下さい、とか、『ここは時々演らないこともある』とか、『だから私に合わせてね、すみませんけど』と云っておくのだ。何拍になっちゃうかわからないけど、歌が○○と云ったらここへ行ってね、とか。
意味、わかるといいけど。
ちなみに、比較的譜面書きは男性が得意なんじゃないかと思う。実に見やすくスッキリ、美しく丁寧に書いて下さる人が多い気がする。魅力的だと思う。学ぶところも多いし。
私は地図もうまく書けない。やっぱり、いわゆる女の脳なんだと思う。
以前、早川義夫さんが、私の性格が悪いけどどうしようか、とマネージャーに相談したら、あのひとは脳ミソが男なんで仕方ないんですよ、と云われ、あ~あなるほど、とスッキリしたそうだが、それでもやっぱり女の脳なんだと思う。
ちなみに以前本番前に、その日知り合った他グループの演奏家にも参加してもらうことになって、眉間にシワよせあわてて譜面を書いている私に、横にいたサポートメンバーの男性演奏家が、オレが書いてやります、と云ってくださったことがある。
グっと来たけど、ある個所、ここどう演ってたっけ?と聞かれ、二人で拍を指折り数えたが、どうしてもどうしてもわからなかった。それが本番にも尾をひいて、皆がシンケンシラハドリみたいな緊張感になって、さて、最終的に今まで一度も思いつかなかった素晴らしい展開になった。
ただし、それに味をしめて、じゃああのときみたく、ってことでやってしまうと、斬られて惨敗、みんなしょんぼり、なんてこともあるのだ。
・・・さて。だからやっぱし、ここで油売ってないで、今から譜面書かなきゃ。
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