<85>ベリンダとベイルート

<85>ベリンダとベイルート

ベイルートの爆発から10日が過ぎた。
こんな大惨事が起きたのは、奇しくも(そして悲しくも)自分の誕生日8月4日だった。
8月5日の朝、起き抜けにこれを知ってすぐ、デンマークのベリンダに連絡を取った。数年ぶりだった。

ベリンダと私は、2017年の11月、旅をするのに最もふさわしい11月、ベイルートの安宿で出会った。初対面のそのとき、ベリンダは全裸だった。巨大な茶褐色の物体が安宿のベッドに横たわっていて、ヨルダンから近いにもかかわらず乗り継ぎの悪い空路を取らざるをえなくて、まる一日、文字通り24時間近く移動してクタクタでベイルートに辿り着き、そこからタクシーとの運賃交渉でグッタリした果てに、さあやっとベッドの上で眠れる、と思った矢先の出来事で、ギョッと目が覚めた。とても大人しく寝るワケに行かなくなり、私の『ギョッ』が聞こえたがごとく起きて目をこすっているベリンダを連れ出し、裏のサンドウィッチ屋に行き、レバノン国産ワインで乾杯した(国産ワインがあるものの、イスラムの国。酒はどこにでもあるワケじゃない)。それが出会いだった。

結果、その旅は特別なものになった。ベリンダと出会ったおかげで、脳の新しい扉が開いた気がした。
眠れる『デンマークの』ベリンダが『茶褐色の』物体なのは、彼女がクルド人だからだ。パスポートの国籍はデンマーク。あの、乳製品をよく食べる背の高い、日光を渇望する白い肌の人たちの国だ。ベリンダは巨大だが、身長は特に高くはない。巨大なのは、横に大きいからだ。横たわるとカサ高だからだ。

彼女は生まれも育ちもデンマーク。クルドの行方を案じたおじいさんの代でデンマーク移住を決めたという。
私よりず〜っと年下だけど、卓越したコミュニケーション能力と話術で、スイスイとアラブ世界を泳いでいるように見え、小気味よかった。たしかに、クルド語とトルコ語、英語、デンマーク語、アラビア語東部方言を自由に使いこなしてはいたけど(アラブ圏においては、正則アラビア語より方言を話せたほうが圧倒的に役に立つ)、それだけでない何かがあった。デンマークでは携帯電話会社の窓口で働いている。仕事も天職『コニュニケーション』関係というわけだ。

イスラム教徒のベリンダは、私の知らないことを、たくさんたくさん知っていて、その全てがとても参考になった。民族問題や、明らかに肌の色の違う国に生まれ育つことの『リアルな』話がとても興味深く、愉快でもあった。そして私が知っていて、彼女の知らないことは、実にしっかり聞き取ってくれ、異国語でも『ちゃんと吸収されてる』という安心感を抱かせてくれた。

2017年12月初旬に帰国してすぐは、ハッピーニューイヤーだのなんだの、ちょっとした連絡はとっていたが、その後はちょくちょく思い出すだけになっていた。ベリンダどうしてっかな?と。

よもや、こんな形で2020年、連絡を取るとは。
返事は即座に来た。
あのサンドウィッチ屋も、そして私たちが数日部屋を共にした、夜な夜なシリア難民たちが集まってビールと水タバコで故郷の歌を歌う安宿も、二人で歩き回った内戦の傷跡を一刻も早く払拭しようと切って貼ったみたいに洗練された界隈も、爆発現場から徒歩わずか13分の場所にある。

ベリンダだけじゃない。
いったん街中へ出ると、どうしても命がけで横切らざるをえないシャールヘロウ大通りが恐ろしく(歩道橋なし、横断歩道なし、猛スピード)困っていたら、たまたま同じバスから降りたアメリカ人青年が、横断をエスコートしてくれた。絵に描いたような金髪碧眼で、横断中のさ中、通り過ぎる車のヘッドライトに照らされた彼の金のまつ毛の、とても美しかった一瞬が、今もフラッシュバックのように浮かぶことがある。あのとき名を聞いたけど、忘れてしまった。
そのシャールヘロウ大通りの映像に、今は血の気の引く思いがする。

何人(なにじん)にしろ、このただの小さな旅行者を助けてくれ、笑いあった人びと多数と、ベリンダと手分けしたが誰ひとり連絡がとれていない。
そうでなくてもレバノンでは、パレスチナやシリアの難民と地元住人との対立が深刻化していて、シリア人たちの中には売春せざるをえないどころか、内臓を売るしかない人も少なからずいるという。もちろんそんな人たちがコロナにかかったりしたら大変なことだ。無策の政府に抗議する暴動も頻度を増している。

この世では、こういうことが起きてしまう。
そして、こうしてる自分の頭の中にも、へんな角度からちまちまと、内なる暴動も起こってくる。
…そんなこと云ったら、ジブンの国の震災や原発事故こそ…
…もちろん誰の不幸も望んではいない。でもかといって近くにいてもその人に『平安あれ』と願うことを忘れてしまってる人も、正直いる。となるとすれ違っただけの遠い国に平安あれと思うのは、単なる自分の『感傷』か?…

ただひとつ嬉しかったのは、このコロナ騒動が収束したら、ベリンダが日本にやってくるらしいことだ。すでに今から、どこへ連れて行こうか、なにを食べさせようか、あれこれ考えている。

…自分に新しい扉を開いてくれたあの町に、どうか『平安』がやって来ますよう。

ホテル裏の港